中国のバレンタインデー「七夕」

2021/08/04

七夕 七夕は、中国のバレンタインデーと呼ばれるもので、華人地区と東アジア各国の伝統的な祭りで、彦星と織姫の伝説に由来し、旧暦の7月7日(日本は明治維新後、西暦に行うようになった)を祝うものである。もともとは、旧暦の7月6日または7日の夜、女性たちが織女星に「乞求智巧(綺麗な心と器用な手先を得て良縁に恵まれるように)」と祈ったことから「乞巧節(qǐqiǎo jié)」とも呼ばれる。この乞巧節では、乞巧果(qǐqiǎoguǒ)という伝統的なお菓子を食べる風習がある。現代に入ってから、愛情表現がより自由に表現できるようになり、七夕祭りについては、牽牛と織姫の民間伝説を媒介として、中国のバレンタインデーになった。

 七夕の彦星と織姫の物語は諸説あるが、主なものは二つ。

① 六朝・梁代の殷芸( いんうん)が著した『小説』には、「天の河の東に織女有り、天帝の女なり。年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命を下したが、一年に一度会うことを許す」という。

②干宝の『捜神記』で、漢代の孝行息子、董永夫婦の物語。伝説によると、織姫は天神で、牛郎は凡人で,ある日、織姫は人間界へ遊びに行き、湖の中で泳いでいるとき、牛郎は織姫と出会った。二人は一目惚れして、夫婦となり、男と女を生んだ。しかし、人と神の恋は天界ルールに反するもので、玉帝は織姫に牛郎から離れるよう命じた。牛郎は妻が捕まったのを見て、すぐさま子供たちを籠に入れてんびん棒で担いで、織姫を追いかけた。もうすぐ追いつくという瞬間、一本の大河が突然彼の前に立ちはだかった、これは王母の描いた銀河であった。それでも大河を渡る午郎を見て、彼らの感情が誠実であると認め、特別に彼らを毎年の七夕に一回会わせる許可を出した。カササギは彼らの愛情に感動し、毎年銀河に来て午郎と織姫のために橋を作って彼らに会いに来る。

 現在、中国で広く伝わっているのは②だが、どちらの話も美しい愛に対する憧れを表しており、今現在でも風習として残っている。

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