殿方 育児あそばせ!第7回

2021/08/25

殿方育児あそばせ

 

センチメンタルなパパと小葉子

 今まで、すぐそばに、一緒にいたのに。今は、すぐそこにいない。遠く遠く離れている。

ほんの、ほんの少しの間とわかっていても、心は乾いた水瓶のよう――

 

 私の娘である小葉子は、先月の末からママと旅行中だ。内モンゴルに住んでいる舅舅(JIUJIU母方の叔父)の家で、ひと月ほど過ごすのだ。娘の事になると、極度の心配性となる私は、道中を想像して二人の身を案じた。私自身、舅舅の家に行ったことが無く、私は未開の地に二人をやる心境だった。何度引き止めようと思ったことか。私は引き止めなかった。それが単に自分にとって都合の良い、自分本位な考えだと気づいたからだ。本当は自分が寂しくなるのが怖かった。この旅行は、娘にとって新しい世界を開くような体験だ。新しい場所で、今までにない風景を見て、新しい人とも出会う。向こうには小葉子の祖父、祖母も来るという。ママはきっと育児から少し解放されるだろう。何より、長引くコロナ禍に、久々の家族団欒が出来る。私自身は、一人でヘタクソな料理でもしてみようかと思った。

 

 二人が出発して数日、私は感傷に浸っていた。誰の声もしない家には、自分と1匹の飼い猫だけ。数日前まで、家中を駆けまわる小葉子の笑い声や、いたずらをとがめるママの叱り声が響いていた。今、聞こえるのは猫の寝息くらい。うまくいかない料理は焦げ付いても、我慢して食べた。美味しくはなかった。壁に掛かった小葉子とママの写真を見て、孤独を感じる。笑顔の二人が、なぜそばにいないのか。夜には孤独感が強くなる。寝付けない私は、猫を連れてきて一緒に寝た。朝、目覚めると、現実と理解する。虚しさは強くなった。WeChatのビデオ通話をすると、私は寂しいそぶりを見せない。数分、簡単な会話をして通話を切る。本当はずっと繋がっていたい。なぜか、素直になれない。

 

センチメンタルなパパ作 壁一面の小葉子の写真:写真をランダムにかけ続けていく永遠の未完成

センチメンタルなパパ作 壁一面の小葉子の写真:写真をランダムにかけ続けていく永遠の未完成

 2週間も経つと、私は幾分この寂しく、苦しい生活に慣れた。ヘタクソな料理は焦げ付く事こそなくなった。その夜、ビデオ通話の画面の向こうの小葉子は、画面に映る私を見つけると大きな声で叫んだ。「爸爸,过来!!(パパ、おいで!!)」娘は外で遊びたい時、こう叫んで私を連れまわす。繰り返し叫び続ける小葉子。「パパが画面から出てこられるわけないでしょう?」などとママは笑う。私はこの瞬間、切なさと愛おしさが同時にこみ上げた。すぐに、そこまで飛んでいきたかった。小葉子の髪が少し長くなっている事、前より多くの言葉を話している事に気がつく。少し背も伸びて見える。新しい環境に慣れ、楽しそうにしている。娘の成長に気づいた私は、父も成長する時であると悟った。成長する子を見て親が成長する。親の気持ちという物を、少し理解した瞬間であった。その日からビデオ通話の時間は自然と長くなった。

 

 私が親となる遥か前。

 私は、高校を卒業するとすぐに中国に留学した。出発の日、空港に向かうバスの窓越しに、見送りに来た母に何気なく手を振った事を覚えている。寂しさは感じていなかった。私の姉から後から聞いた話では、母はその時、泣いたと言う。そして、出発から2カ月後、旅行好きの母と姉は、私の留学先を訪ねてきた。出迎えた私が、遠くから歩いてくるのを見て、母は泣いたと言う。ほんの短い間、会わなかっただけだ。小葉子とママが出発する日、私は二人を空港まで見送った。荷物検査に並ぶ二人の後姿に、涙がにじんだ。熱くなった目頭から涙が流れ落ちる前に、手を振ってさっさと帰ってきた。二人が帰ってくる時も、私は目頭を熱くさせるのだろう。だが、娘には、寂しい思いをさせたくないと強く思った。寂しさは、小葉子が親になるときまで感じてはいけない。

 

――感傷に充分に浸った父は、これからも君と同じように成長をしていく。今は、大草原や、満点の星空をその小さな目に焼き付けて、大きくなったら一つ一つの体験を聞かせてほしい。


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神沼昇壱(かみぬま しょういち)

随筆家。広州在住の日本人。2002年に中国に渡り留学と就職を経験。その後、中国人女性と結婚した。2021年現在一児の父として育児に奮闘中。

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