殿方 育児あそばせ!第12回

2021/09/29

殿方育児あそばせ

 

娘よ。本音を聞かせておくれ!①

 

そう言えばちゃんと聞いたことが無かった。

「転校たくさんしたけど正直言うとどうだった?」と。

私は転校の経験は無い。

まして中学生の頃なんて海外生活など想像したことも無く、外に出れば誰かしら知り合いに会うような田舎でハイスタを聞きながら仲間とチャリンコ漕いで育った。

16歳で出会った妻も隣町なので同じような環境だ。

あれっ?

長女は16歳だし……おいおい

そういう年になったのかぁーと、ちょっと覚悟した(何を?笑)。

さて、これは娘も見ているので転校とか海外とかの話に戻そう。

「どうだ? PPWに載せるから書いてみないか?」と

次回のネタに困っていることは悟られぬ様に3つの質問を二人の娘に送った。

  1. 中国の思い出(学校・生活)
  2. 転校を4回経験して良かったこと、辛かったこと。
  3. そして……親父をどう思うか。

質問1

中国での思い出を語ってください。(生活・学校)

 

長女:

北京への修学旅行! 中2の夏、広州日本人学校へ転校して僅か1ヶ月で修学旅行だった。

友達とうまくやれるだろうか……と不安が大きかった。

でも行ってみれば逆に友達との仲は深められたし、自分の目で北京の名所を見ることが出来て素晴らしい経験だった。

次に、家族で行った西安旅行。この旅行をきっかけに中国の歴史に関心を持つことが出来た。

当時は事前予習無しでの西安訪問となったのでもう一度行きたいなぁ。

そして、日常生活。休日になると様々な場所へ出掛けた。

広州は公共交通機関が充実していて地下鉄やタクシー、バスで移動した。

広州塔の周辺の高層ビルが立ち並ぶ景色は素晴らしかった。

気晴らしに体育中心でランニングしたことも美味しい料理を家族で食べに行ったことも良い思い出、

そして、特に疲れた日の学校帰りはタピオカミルクティに限る。最高!

photo1

次女:

色んな料理を食べたことが良い思い出。たまに食べたくなる。特に蛙の唐揚げみたいな料理が印象に残っている。味付け辛かったけどクセになった。日本では中々経験出来ないと思うからラッキー。

胃が強くなった気がする!

あと、家族で西安へ行ったこと。西安はほんとに楽し過ぎた。

兵馬俑を見たのが一番覚えているかもしれない。日本へ帰って来たあと、社会の授業で兵馬俑を習った時に「ここに行きましたよ」って先生に自慢した思い出がある(笑)。

 

親父コメ:

娘達の思い出を読んで、広州ライフの様々な経験、旅行と料理を楽しんでくれたこと、そして「また行きたい」と感じてくれたことは感無量である。

中国に来て第一弾の旅行先は西安だった。まさしく古都。あの秦の始皇帝や楊貴妃がかつて実在し、シルクロードの始まりの地……

二千年以上前のことで想像も付かないが、全てを掘り起こすのにあと百年は掛かると言われる兵馬俑を見れば圧倒的スケールと悠久の時を感じる。この感覚は現地で娘達も感じて「もっと知りたい」という気持ちに繋がったのだろう。

日本から空海さんが来た記録が青龍寺に残っていた。千二百年前のことだ。手漕ぎの船で海を渡り、馬か徒歩で西安まで来るってどんなモチベーションだったのだろうと家族で話した。

古(いにしえ)の人々の逞しさに感慨深いものを感じながら名物のビャンビャン麺を啜り西安餃子をビールで流し込んでいた私。これも旅の醍醐味。おいしぃ〜。photo2

こんな感じに二泊三日を満喫して第一弾の旅は終わった。

第二弾の家族旅行は今は叶わない。自由に行き来できるようになる頃は娘も成人して好きに生きている頃かもしれない。

もし彼氏と来る時は、ひとこと教えてね(笑)。

 

次回は、質問2:転校を4回経験して良かったこと、辛かったことを掲載しようと思う。

最後まで読んでくれた皆様、谢谢!

 


photo ryu prof

 

赤林 龍

広州生活2年4ヶ月。
このプロフィール写真,単身生活で羽伸ばしているでしょ?何で子供と写ってないの?それ以上、言わないでください(泣)もう1年以上妻と子供と会えてないのです。それに2人の娘は高1と中2なのでそもそも一緒に写ってくれたかわからないでしょ?あ、広州に家族でいたのです。2019年~20年少しだけですけど。コロナで家族帯同やめました。そんな83年1月生まれ酒テロ親父の育児奮闘記です。

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