殿方 育児あそばせ!第47回

2022/06/22

殿方育児あそばせ

怪我したママと葉子と私 其之四

殿方よ、いつ何時も感謝の念を忘れてはならない――

前回までのあらすじ
手術室に入っていったママを待つ間、私は不器用ではあるが葉子の面倒を一人で見ることに成功した。無事に手術を終えたママを迎え、安堵したのも、つかの間であった――P21 GD_ikuji 837-01  ママの手術を待つ間、葉子の面倒を一人で見るという試練をやり過ごした後、私は心からホッと一息ついたが、人生には新しい試練が用意されているもので、私たち3人の入院生活が始まろうとしていた。

なぜ3人で入院となったかというと、コロナ禍の影響で、看病のための病院への出入りが禁止されていたためである。患者の看病をするならば、一緒に入院して退院するまでは誰も外に出られない。一緒に入院できないならば、患者の看病をあきらめる。という2つの選択肢が用意されていた。ちなみに子どもの付き添いの入院は認められていなかったのだが、事情を察した婦人科の郭先生は病院側に掛け合ってくれた。

郭先生は急患後の診断をしてくれ、受付で手間取っていた私を助けてくれたやさしい先生である。おかげで特別に3人での入院が認められることとなった。しかも子ども、外国人というなんだか厄介そうな組み合わせに、本来は相部屋となるところだが、これを個室として使わせてくれたのだ。私たちは緊急手術、入院ということを全く想定していなかったため、入院用の生活用品どころか、その日の葉子のオムツやベビー用品すら満足に準備していなかった。先述の通りコロナ禍の病院のルールでは、看病のために宿泊するならば、一度病院に入った時点で外に出ることはできない。この厳格だが、コロナ禍では必要であろうルールすらも郭先生は何とかしてくれたのだ。ずっと寂しい思いをしていた葉子はママから片時も離れようとしない。まだ麻酔が効いているため、うまく体を動かせないママは葉子の面倒を見ることはできなかったので、2人の身の回りの世話は私がした。

ようやく落ち着いた頃には午前2時を過ぎていた。郭先生からは一旦家に戻って入院の準備をしてから、朝8時までに病院でPCR検査を受けてから病棟へ入ってくるよう指示が出ていた。間に合わなければ今度こそ一緒に入院は出来ないという。夜も更け、緊張状態の続いた私の頭はすでにクラクラではあったが、気合を入れ直して家に戻って入院に必要な物を準備した。もうろうとする頭で、吟味をしている場合ではないと悟った私は、大きなスーツケースにとりあえずママと葉子の着替えとオムツ、歯磨き等を文字通り放り込んだ。続いてまだ寒い時期で自分のよくわからないトレーナーとか、葉子の夏物か冬物かわからない靴下とかを放り込んだが、結局使わないものばかり詰め込んでいたことには、後に退院する時にようやくわかった。

その後、仮眠のつもりだったがすっかり眠り込んでしまい、朝は寝坊を心配したママからの電話で目が覚めた。風呂にも入らず夜のうちにまとめた荷物を引きずってDIDIに乗り込むと朝のラッシュに巻き込まれた。ドライバーに8時前につかないといけないことを伝えるとビュンビュンと車を飛ばしてくれたので、なんとかPCR検査の予定時間ギリギリに間に合い、2人が待つ病室にたどり着くことが出来たのだった。

またまた誰かの助けを得たわけである。それまで自分の力で困難を乗り切ったつもりでいて、葉子の面倒も一人で見られたと陶酔していたが、昨日、手術前に、焦りのあまり、私が大声で悪態をついたDIDIのドライバーや、急患のスタッフのことが頭をよぎり、彼らには二度と顔を合わせられないと思うほど、自分の行動を恥じた。満足に子どもをあやせない、なんとも情けない父親である私に何度となく救いの手を差し伸べてくれた郭先生には頭が上がらない思いだ。誰かに助けてもらった時こそ己の未熟さを認め、感謝の念を忘れてはいけない。これを教訓としていこうと思う。


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神沼昇壱(かみぬま しょういち)

随筆家。広州在住の日本人。2002年に中国に渡り留学と就職を経験。その後、中国人女性と結婚した。2021年現在一児の父として育児に奮闘中。

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