2分で読める武士道 第25回「柔術世界王者の死」

2022/08/24

2分で読める武士道

世界中で注目されている日本人特有の性格や行動の数々。
それらの由来は武士道精神にあった。
しかし、肝心の日本人にその武士道精神が浸透していないのが日本の現状である。

筆者が外国生活を通して感じた日本人の違和感を「武士道」や「葉隠」などの武士道関連文献をもとに紐解いていく。

 

 

 

 

 

 第26回 柔術世界王者の死がなぜ私をそんなに悲しくさせたのか 

肉体の外に人間は出られないということを精神は一度でも自覚したことがあるだろうか、これはいつも私が考えてきたことであります。なぜなら、われわれは自分の肉体の外へ1ミリも出られない。こんな不合理なことがあるだろうか。私どもの肉体から外へ出てくるものは、欠伸だとか咳だとか唾だとか排泄物だとか、要らなくなったものばかりが出てくる。そして私自身の存在というものは、自分の肉体の皮膚の外へたった1ミリも自我を拡張することができない。その閉ざされた肉体の中で精神の自我だけが無限に異常に、ガン細胞のように増殖して拡がっていく。
(三島由紀夫東大全共闘「美と共同体と東大闘争」角川文庫より抜粋)

肉体の限界を肌に感じ始める年ごろ
30歳を過ぎたあたりだろうか、昔テレビでよく見ていた人たちの悲報をよく聞くようになったのは。この5年で芸能人に限らずスポーツ界でも多くの往年の名手たちが亡くなられたような気がする。また著名人ではなくとも、自分に身近な人たちの訃報も10年前に比べると多く耳にするようになった。そういった話がニュースだとか知り合いからのLINEで飛び込んでくるたびに、肉体の限界というものを見せつけられたような気がして、以前にも増して「生と死」について真剣に考えさせられるようになった。

柔術現役世界王者の死
昨晩、「柔術世界王者のレアンドロ・ロ選手が銃殺される」というYahooニュースを見た。私は柔道はやるが柔術はやらないのでレアンドロ選手の存在についてはこのニュースで初めて知ったのだが、そんな見ず知らずの人の悲報に大変な衝撃を受けた。レアンドロ選手は柔術の世界選手権を3階級で計8回も優勝していて、素手では当然のこと、たとえ包丁を持ってこようがきっと彼に路上で勝てる人はガチでいないだろうというくらいの猛者だったと思われる。そんな彼がサンパウロの夜のクラブで絡んできた男性に突然発砲され、まもなく病院で死亡が確認されたという。

努力ができない苦しみと悲しみ
まだ33歳という若さで現役バリバリの柔術世界王者の最期がまさかこのような形になるとは本人も含めて誰も予想していなかっただろう。世の若者たちが格闘技を始めるキッカケの一つは強くなるためであり、嘉納治五郎師範が柔術を、三島由紀夫が武道を始めたのも元はといえば彼らの生まれつきひ弱な身体を鍛えるためであった。肉体の訓練はいばらの道である。そこに近道は存在しないし一日でもサボれば肉体は簡単に元の状態に戻る。様々な欲や誘惑に打ち勝ちながら、辛く時に孤独なトレーニングを地道に積み重ねることで人は一日一日と強くなり、そしてようやく一握りの人間だけがそれぞれの競技で頂点に立つことを許される。柔術の頂点を8度も極めたレアンドロ選手においてはそのトレーニングの過酷さ、それによって培った心技体の強さはまさに天下一品だったに違いない。その唯一無二の努力と才能がたった一発の銃弾によって打ち砕かれたことが私にとっては悲しくて仕方がなかった努力をしてきた人間がこれからもう努力をすることができないという現実ほど辛いことはこの世にない。

大切な人たちに別れを告げられないつらさ
最高級の心技体を備えていても武器や兵器の前では人間は無力であることが、今回の事件をもって残念ながら実際に証明されてしまった。その悲しい事実も然ることながらもう一つ私が胸を痛めた事実が、このような突発的な死は当人に家族や大切な人への別れを告げることを許さないということである。殺人というのは最悪なケースでそうそう身の回りで起こりうることではないが、そうでなくても交通事故や災害によって突然命を落とすことは誰にでも起こりうる。私の中高時代の柔道部の恩師、また香港に来てから大変かわいがってくれた柔道の先生もこのコロナ禍の最中に癌で亡くなられた。それはそれはもちろん信じられない出来事で辛く悲しかったが、それでも二人と闘病中に顔を見ながら多少なりとも昔話や将来のことを話すことができた。先はそう長くはないと分かっていながら癌と闘病することは本当に辛いことだろうなあと当時は思っていたが、今私が思うのは特に癌末期症状の闘病期間というのはある意味で人生のボーナス時間であり、大切な人たちと気兼ねなく安らぎに満ちた時間を過ごすことができる神様が最後に与えてくれた最高のご褒美なんだと。明日は我が身と気を引き締めつつ、ただただレアンドロ選手のご冥福をお祈りするしかない。


profile筆者プロフィール

宮坂 龍一(みやさか りゅういち)
東京都出身。暁星高校、筑波大学体育学群卒業。
香港の会社、人事、芸能、恋愛事情にうるさい。

 

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