殿方 育児あそばせ!第52回

2022/08/03

殿方育児あそばせ

 残念な形で高校野球生活を終えた長男。宣言通り監督から推薦された学校を断ったが、自力で何とか出来る訳もなく、学校に残っていた前監督を頼って某大学のセレクション※1を受けさせてもらい、結果、彼の学力からは望むべくもない良い大学に推薦入学することが出来た。「大学ではビジネスで野球するわ」

長男が入学にあたって私に宣言した言葉。推薦の後押しをしてくれた監督の顔を潰さないように、そして四年後の就職活動で有利になるように、まずは卒業までやめないことを第一目標に野球に取り組むと言う意味で、ようするに、少し気楽に野球をやりたいと言う事だったが、私も賛成した。入学した大学の野球部も部員200名の「目指せ、神宮」なガチ体育会系だったが、実際、長男は四年間、一軍と二軍を行ったり来たりだったが一喜一憂することもなく、野球日記も無くなって、たまに活躍した時の動画が自慢気に送られて来るぐらいになった。

だからと言って、息子との会話が無くなった訳ではなく、むしろ、これまで野球一色だった会話から、色々なことを話すようになった。入学と同時に中古で購入したスーパーカブのカスタムの事や、政治や歴史について話す事もあれば、ナンパした女性の家に向かっていたはずが、気が付けば公園のベンチで寝ていたことまで。三年生になって車が欲しいと言い出した時は親ローンの相談に加えて、買う車の種類まで色々と話し、最終的には私の推薦したオープンカーの軽自動車を中古で購入。ドヤ顔で電動ルーフを開閉する動画を送って来た。

彼が小学校5年生の時に中国へと来た私。以降、入学式や卒業式、体育祭や文化祭だって、一度も参加したことがない。人間として成長していく大事な時期に全くと言っていい程、そばに居なかったが、長男との関係性は今に至るまで良好である。現在は機械系の商社で私と同じ営業職として働く長男。野球の時と同じように、仕事についても色々相談して来てくれる。

「これからはソリューションじゃなく、インサイト営業なんよ」などと、どぶ板営業出身の私を馬鹿にするような横文字で偉そうに言われる時はカチンと来るが、それもまた幸せな事であり、彼女が出来たと言えば、男同士ならではの不謹慎で、ちょっぴり猥雑な会話でさえ普通に出来る、そんな長男との関係に私はすごく満足しているし、父親が早逝した私には存在しなかった父と子の姿が形を変えて体現出来ているのだと感じているのです。

このコラムをご覧くださっている方の中にも、子どもたちと離れて暮らされている方が多くいると思います。親子にとって、そばに居られるに越した事はないですが、離れていても同じ目線で語る事が出来、常に真剣に語り合える共通項があれば、親子関係というのは、そんなに悪くならないのでは、と感じています。それが私と長男の場合は野球であり、離れていても野球を通じて語り合った日々が、私と彼の関係を築いてくれたような気がしています。偉そうな言い方でごめんなさい。

「孫が出来たら、俺に預けえや、今度こそ阪神ドラ1※2に育てるわ」
「自分の息子に、あんな思いさせんの嫌やなあ」
「何言うてんねん、お前の時は俺も父親初心者や、色々失敗もするがな」
「初心者に育てられた俺は、めっちゃかわいそうやん」
「だから孫は褒めて伸ばすねん」
「それはそれで、なんかムカつくなあ」

長男との物語は一旦終わります。

次は長女との話を書こうと思いますが、長男と野球について一喜一憂している頃、私は彼女の運命に近づく黒い影に気付くことが出来ませんでした。そしてその影はやがて荒れ狂う嵐となって、私たちを襲うのでした。

この章一旦終わり

※1某大学のセレクション 大学にスポーツ推薦入学する為に実施される実技試験。これに合格すると、よほどのナニじゃない限り推薦入学が可能となる。※2阪神ドラ1 ドラ1はドラフト会議での1位指名の略称。阪神からドラフト1位を受けるということ。photo


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松浦儀実

1966年兵庫県生まれ淡路島育ち。2009年に小説「神様がくれた背番号」を上梓、同作は漫画化連載され、日本文芸社よりコミックス全三巻発売中。広州駐在十二年目だが臭豆腐とドリアンは未だに食えない。かつて広州に存在したヘヴィメタルバンド「東京女神」でボーカルを務めるがメンバーの帰任であえなく解散。天命を知らないどころか、惑いっぱなしで、恐らく未だ立ってさえいない55歳、阪神タイガース原理主義者。

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