僕の香妻交際日記 第80回 コロナで失った誇りと得た誇り

2023/01/11

P16 HK Wife_727妻の異変
最初に症状が出たのは妻だった。木曜日の時点で喉が痛いと訴え、金曜日の朝になると38.5℃の熱が出たため会社を休んだ。コロナの陽性反応も出ておらず、季節の変わり目で体調を崩してしまったのかと私も軽く思っていた。特に妻は2019年のコロナ発生時から控えめに言っても私の10倍以上はコロナに気を付けており、基本的には家とオフィスの往復のみで日々を過ごしているので、そんな妻が熱を出してもただの風邪だとしか思わなかった。

雨のディズニー
一方で妻が珍しく寝込んだこの金曜日はもともと娘の幼稚園が休みだったため、私は休暇を取り娘と2人でディズニーランドへ行く約束をしていた。あいにくその日の天候は雨で気温も最高14℃と最悪のディズニー日和だったが、園内は予想以上に込み合っていた。平日だからか子どもよりもカップルが多かったので、そんなイチャイチャにわかディズニーファンには負けまいと私も娘も必死になってアトラクションやキャラクターグリーティングに並んだ。気温14℃だというのに娘は寒くないと言い張りジャケットを脱いで走り回るので、私は傘もささずに傘とジャケットと簡易ベビーカーとリュック2つを抱え、雨に濡れながら娘を追いかけること8時間、夜7時にディズニーを出るころには流石に体力の消耗を隠せなかったが、娘の満足げな顔を見て私も満足感で満たされた。

2本線現る
翌日、土曜日の朝、妻が珍しく朝早くに起きていた。私は午前中に仕事があったのでササっと顔を洗って家を出ようとすると、突然妻が「コロナかもしれない」と言い簡易チェッカーの結果を見せてくれた。するとうっすらと二本線が浮かんでいるではないか。この3年間、幾度となく押し寄せたコロナの大波をこれでもかとかいくぐり、我が家では一人も感染者を出すことなく幼稚園も会社も皆勤してきたことがいつも誇りだった。そんな鉄壁だった我が家のリーダーである妻がコロナになったと分かった瞬間から娘も突然咳をし始めて、私も頭痛がしてきた。二人ともこの時点では陰性で熱などの症状もなかったが、メンタルはすでにやられていた。そして、その夜、娘と私にも陽性反応が出た。

引き裂かれた誇り
3年間、張り詰めていたものがぷつっと切れた音がした。コロナにかからないことは私たちにとって家族の誇りであり、絆の証であり、ウィルスに負けないという人間としての威厳でもあった。そうやって守り続けてきたものが一気に崩れて、娘と私にも二本線が浮かび上がったときには妻もかなり失望した様子であった。最近妻は仕事が忙しかったし、私と娘は雨のディズニーで興奮しすぎて免疫力が弱っていたのかもしれない。様々な憶測が飛び交う中、初コロナにあたふたする妻と私の横で生の二本線を初めて見た娘がこんなことを言い始めた。

「私の二本線、パパのより濃くない?じゃあ、私が一番強いってこと?!やったー!」
「ちょっと、ママの二本線、私のよりも濃い!私の負けってこと?!やだー!」

娘が二本線の濃さで勝負をし始めたのである。どう反応すればいいのか最初は戸惑ったが、気がつくとその娘の言葉に妻も私もなんだか救われた気がした。

新たな誇り
コロナなどの病気にかかって陥りがちなのが、罪悪感や否定的な考えばかりが頭に浮かんで、気持ちが落ちてしまうこと。仕事とか学校とか買い物とか全てのことがストップしてしまうので、悲観的になることはある程度避けられないが、私たちはいずれにしてもこういった病気とうまく付き合っていかなければならないのである。
一番大事なことは気持ちを強く持つこと。妻のような真面目な人になればなるほど責任感や劣等感を感じてしまうので、なるべく明るく前向きに過ごすことが必要だとコロナによる隔離生活を経てそう感じた。
家族全員が一つ屋根の下で一歩も外に出ない生活が一週間続き、ママとパパと毎日一緒にいられて娘は大喜びだった。度々、娘は「私たち、コロナ家族だね」と誇らしげに言うので、3年前の妻なら「そんなのは誇りにはならない!」と激怒していただろうが、今は笑顔で「そうだね」と誇らしげに答えられるようになっていた。


ルーシー龍ルーシー龍(りゅう)

東京都出身。香港歴10年。世の中のオヤジの威厳を取り戻すため愛娘に甘い妻と日々衝突を繰り返しながら子育てに奮闘中。

 

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