深セン(SHENZHEN)特集1・深セン在住者にインタビュー

2015/04/01

羅湖駅前には高層ビルやリゾートホテルが立ち並ぶ

香港から手軽に行ける中国・深セン。ホンハム(紅磡)駅からMTRに乗って羅湖駅へ行き、イミグレを通って1時間前後で到着する。週末になると、香港からチープショッピングやマッサージに出かける人も多い。羅湖駅前には高層ビルやリゾートホテルが立ち並び、何年かぶりに訪れた人は、街の変貌ぶりに驚かされるだろう。いまや深センは、中国で北京市、上海市、広州市に次ぐ第4位の国際都市となっており、最も速いスピードで発展した都市にあげられている。商業、工業、金融サービス、物流、観光などの産業がこの街の成長エンジンとなっている。

35年ほど前、深センは約3万人が暮らす小さな漁村だった。しかし1979年に中国初の経済特区に指定されて以降、目覚しい発達を遂げてきた。中国各地から仕事を求めて大勢の人がやってきた移民の都市で、広東省にありながら「普通語」を話す珍しい地域でもある。移民を受け入れる環境を整備し、季節労働者たちも産業の労働力となってきた。2013年の深センの人口は1,063万人に達し、そのうち310万人は永住権を持つ。

深センは、深セン駅周辺の商業エリア、蛇口にある工業エリア、テーマパークや公園などある観光エリアなどに大別される。工業エリアには、日系企業をはじめ、多くの海外企業が進出する。蛇口港はコンテナの取扱量で香港(ヴィクトリアハーバー)を抜いて世界3位となり、深セン空港とともに、南中国の物流のハブとなっている。

また、深センは総面積の半分が、開発が制限された田園都市地区である。美しい海岸線を有し、人気のビーチリゾートもある。こうしたメリットを生かし、観光産業にも力を入れてきた。ここではテーマパークなどで、数えきれないほどのパフォーマンスを楽しむことができる。2003年以降、観光産業は20%以上の年間成長率で、経済発展に大きく貢献してきた。2013年には海外からの旅行者が選ぶ中国で旅行したい都市のトップ10にもランクインしている。経済発展において、「スピード」だけでなく「クオリティ」も実現したと深セン政府は胸をはる。

今回はそんな勢いのある深セン特集。深センを知る人へのインタビューや、遊び場・グルメスポットを紹介しよう。この特集は次週へも続くので、乞うご期待!

人脈は大きな財産。深センで広げる人の輪。

深センを舞台に、製造関係の分野で長年活躍してきたビジネスマンであり、日系強豪軟式野球チーム“Bacchus”の創始者でもある、深セン在住17年目の武田壮一さんにインタビューした。

●何歳の時に深センにいらしたのですか?また、当時の深センの様子はいかがでしたか?

1999年の4月、23歳になる年に深センに来ました。深センに来た当初は日本と台湾の合弁会社で時計部品の製造・管理をしていましたが、その後日系商社に転職。地方の中国企業の工場や台湾、アメリカの外資系の工場とも関わる中で、多くの人と出会うことが出来ました。現在は日系の電子部品加工メーカーで働いています。私が来た頃の深センはここまで大きな都市ではなく、労働者の最低賃金も月給430元(深セン市内)で、私が当時住んでいたマンションの賃料が3LDKで600元ちょっとでした。多くの物が今よりかなり安価でしたね。今年はまた最低賃金も上がり、月給2,030元になりましたけどね。それにつれて深センもだいぶ様変わりしました。

●16年間の“深センライフ”についてお聞かせください。

あっという間の16年でした。深センに来た当初は年配の駐在員や、地元の日系企業の経営者の方々に可愛がってもらい、仕事のお話などを聞かせてもらったり、ゴルフなどにも連れて行ってもらったりしていました。全てがとても勉強になり、楽しい毎日でしたね。そんな中で人の紹介が重なり、更に出会いが出会いを呼ぶこととなり、気がつけば多くの日本人、中国人との繋がりができていました。友好の輪が広がることで、深センでの生活はどんどん充実したものになっていきましたね。

ここ深センで広い人脈を持つ武田さん。その彼がなぜ軟式野球チームを立ち上げようと思ったのだろうか。

●なぜ軟式野球クラブを立ち上げようと考えたのですか?

理由はいくつかあります。1つ目は、私自身が小学校・中学校で経験した野球を深センでもやりたいと思っていたから。2つ目は2009年6月、深センで野球用グラウンドを偶然見つけ、同僚や友人に声を掛けたところ、プレーしたいという人が意外に多いことが分かったからです。3つ目は海外生活で趣味を持っていない人や、中国で野球は出来ないと思っている方が自分以外にも多く居ると知り、この深センでも野球の楽しさを皆で一緒に分かち合い、そこに新たな人との繋がりを広げていきたいと考えたからです。また当時、私自身が中国在住10年目でしたので、それを機に更に新たな経験が出来るのでは、と思い設立しました。

●なるほど。 “Bacchus”は具体的にどのようなチームカラーで、どのようなチームの方針なのですか?

私たちのチームはメンバーに全員野球を要求します。全員野球と言うと勝利至上主義で、万年ベンチ要員のメンバーいるような体育会系を想像するかもしれませんが、私たちのチームは違います。初心者であっても経験者であっても、1つの試合でチームのメンバー全員が必ず1回は試合に出られるようにしています。それでいて完全勝利を目指す(笑)。やっぱり人間って練習した成果を試すところがないと面白く感じることはできないですよね。皆が出場するチャンスがあって、それでいてチームの勝利を追及していく。それが“Bacchus”です。

設立当初は6人だったチームは今では35人になりました。毎週日曜日の練習の成果もあってか、今年1月に8チームが参加して広州で行われた、華南軟式野球大会で優勝を飾ることができました。皆が楽しみ、多くの人と繋がり、仕事も遊びも充実した海外生活を送る。今後も“Bacchus”を通してそのような事を実現していけたらいいですね。うちのチームメンバー同士はとても仲が良いので、日々情報交換も活発で、初めて深センに来て参加したメンバーでも、通常なら現地生活で3年程度かかる情報量が、チームの情報共有によって3ヶ月程度で入ってきます。効率よく、楽しく深セン生活がスタートできますし、仕事をする上でもここでの人脈が役立つことも多いですね。

●華南地区で働く日本人にメッセージをお願いします。

私からこういうお話もおこがましいかもしれませんが、海外に住んでいると色々な形で困った時に手を差し伸べてくれる人の重要性を認識する事が多々あります。国籍や年齢に関係なく幅広い人脈が作れるのは、海外で生活しているからこその特権ではないでしょうか。私は人脈は大きな財産だと思います。今まで沢山助けて頂いたのを次に繋げる事で、今後も多くの人との繋がりを広げていきたいと思います。皆さんも是非とも人の輪を広げ、楽しい“華南ライフ”を送って下ください。

武田壮一さん武田壮一さん

野球をこよなく愛するビジネスマン。23歳という若さで中国(広東省深セン市)に渡り、深センが急速に発展していく中で仕事をしてきた。今年39歳を迎え、仕事や野球等を通じて人の輪を築き、ここ深センの日本人社会で、積極的に活動する日本人の1人である。現在は、日系電子部品加工メーカーに勤務し、また深センBacchus代表としても忙しい毎日を送る。多くの深セン在住の日本人を、魅了するリーダーシップとコミュニケーション能力は、卓越したものがある。

 

 

 

 

 

 

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