花様方言 広東語と北京語の類似性

2015/04/21

ライチ楊貴妃は果物のレイシ(ライチ、茘枝)が大好物だったので産地の広東から早馬で運ばせた、という有名な逸話があります。この話にはさらに、「だから広東は唐の都長安との往来が盛んで、そのため広東語は北部の言葉と似ているのだ」などと尾ひれが付くことがあります。

広東北部の曲江出身の政治家、張九齢によって山脈を貫く道路「梅関道」が作られ、人、物の交流が増えて嶺南(広東、広西)の中国化が一気に進んだのがまさに唐の時代。広東語が膨大な漢字音を取り入れた時代です。レイシは北へ、漢字は南へ。その後、華北ではたび重なる北方民族の侵入などで言葉が大きく変化しますが、広東語は今でも唐代の漢字音を比較的忠実に保っています。少なからぬ文化人が「唐詩は広東語で詠んだほうがいい」などと説くのは、一理ある話なのです。

中国の方言を多く知っている人ほど、広東語は北京語によく似ている、というようなことを言います。実際、広東語以外の地域から香港に来た中国人は、習う気さえあれば、あっというまに広東語を覚えてしまいます。香港に来て、はじめは北京語で話していた台湾や中国の芸能人がわずか数か月で広東語がペラペラになったりします。漢語は中国北部で大きく変化したとはいっても、その変化のしかたはめちゃくちゃに見えて実はかなり法則的なので、香港人が北京語を習うときや他地域の中国人が広東語を習うとき、無意識であれ意識的であれ、類推という方法を使っています。例えば「耳」という字は日本語の音読で「じ」、広東語で「イー」。北京語ではěrという一見似ても似つかぬ音になっていますが、しかし同じく北京語でerやèrと読まれる「兒(児)」「而」「二」なども、やはり日本語で一様に「じ」、かつ広東語で「イー」なのです。(漢数字の「二」は日本語の呉音が「に」、漢音が「二郎」などの「じ」。)

このような広東語と北京語(普通話)の間の「法則」については、『標準広東語同音字表』(千島英一、1991年)という本に、細かく丁寧に書かれています。この本の「広東語の語音類推法」から一部を引用すると、「…中古漢語からの分化規則をあてはめた場合、普通話と広東語は驚くほどの類似を示している。すなわち、同じ中古漢語から発展してきた普通話と広東語には一定の関係があり、普通話の知識があれば、普通話から広東語音を類推することができる…。」そして「中古音の知識を借りなくとも、日本漢字音からもある程度は類推することができる。普通話と日本漢字音の知識を総合すれば、さらにより正確な類推が可能となる。」

中古漢語、または中古音とは、隋、唐の頃の中国語のことで、中古車とか中古CDなどの「中古」ではありません。ではどうして唐代の発音がわかるのかというと、『切韻』という、当時の発音を記録した本の内容がわかっているからです。これに、広東語など中国各地の「方言」の発音や、日本、韓国、ベトナムなどに伝わっている漢字音の研究からわかったことを加えれば唐の長安の発音は再構成できますし、もっと古い時代の音も推定できます。件の「耳」は、簡単に説明するとnji(ンジ)の様に再構成できて、nが脱落したのが日本漢字音の「じ」、jが脱落したのがベトナム漢字音のnhĩ、jとn両方が脱落したのが広東語や韓国語の「イ」、そして「そり舌」化したのが北京語のěr。このような近代言語学の手法を使って昔の中国語の発音を初めて科学的に解明したのはスウェーデンのカルルグレン(ベルンハルド・カールグレン)という学者です。高本漢という漢語名を名乗り、中国人の服装で馬にまたがり、三蔵法師のように従者を連れて、百年前、中国各地を行脚して方言を集めてまわったのです。

日本語で「耳鼻科」と言うときの「耳」は「じ」ですが、患者は絶対に「じ」が痛いとは言わず、「みみ」が痛いと言います。「みみ」は漢語を受け入れる前から使っていた昔ながらの日本語「やまとことば」。ベトナム語でも、普通に「耳」と言うときは漢語nhĩでなく「ベトナムことば」のtai。しかし広東語は大部分の語彙が漢語に置き換わってしまっていて、「耳」は「イーチャイ」(耳仔)と漢語音でしか言うことができず、もとの言葉は残っていないのです。広東語の話し言葉を漢字で書き表す場合、一般の漢字が当てはまらない語彙が若干あって、広東字と呼ばれる独自の漢字が当てられます。これらは、漢語化する以前から嶺南地域で使われていた先住民の言葉のなごりであろうと考えられます。「脷」(レイ)=舌、「瞓」(ファン)=寝る、「搵」(ワン)=探す、「乜」(マッ)=何、「嘢」(イェ)=物、「呢」(ニー)=これ、「咁」(カム)=このように、…などなど。広東よりいっそうけわしい地形にはばまれ、中国化が嶺南よりさらに数百年遅かった福建の閩南語などには、この種の非漢語系の語彙が広東語以上に多く残っています。貴重な手がかりにはなりますが、本来の華南の言葉とは一体どういうものだったのか、それを正確に知るのは非常に困難。かくなる上はドラえもんに泣きついて、タイムマシンを借りて過去に行ってみるしかありません。翻訳コンニャクも必需品となります。
大沢さとし(香港、欧州、日本を行ったり来たり)

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