歴史的建築物特集1・旧賛育医院ほか

2015/11/23

香港には、伝統的な中国式廟から西洋文化を取り入れて建てられた機能的な建物など、さまざまな歴史的価値のある建造物が存在する。材料や用地などの建築様式は、信仰、伝統、文化により決定されてきた。
そして2009年3月、価値ある1,444戸の歴史建築物には、書類、現地調査を含む細かい手引きのもと綿密に査定が行われ、その建築物に等級(グレード)が割り当てられたのである。等級の定義は、政府の機関であるAAB(古物諮詢委員会:Antiquities Advisory Board)とAMO(古物古蹟事務所:Antiquities and MonumentsOffice)によって決定した以下のもの。この定義をもとに香港の街中にあふれる建築物を訪れてみよう。
1992年に建てられた公立の産科医院。職員の宿舎なども完備されていたこの建物は3階建てで、第3級歴史建造物に指定されている。1934年に政府に返還されるまでの間、香港大学医学部の産婦人科病棟として使用されていた時期もあるが、香港で初めて女性の医師が勤務し助産師の養成に尽力するなど、常に産婦人科医院として市民に頼られる存在であった。戦後、病院としての機能を全て病院道に移管した後はコミュニティーセンターとしての役割を担うこととなり、最終的に1973年、現在の名称であるWestern District Community Centreと改名され、今に至る。
昔も今も変わらず市民に愛されて続けるレンガ造りの建物は、今日も誇らしげに西環の街に建っている。
❶香港歴史的一級建築物(Grade 1)可能な限り保存するため全力を注ぐべき優れた価値のある建築物。
❷香港歴史的二級建築物(Grade 2):精選的に保存すべき特別な建築物。
❸香港歴史的三級建築物(Grade 3):保存が実行できなければ何らかの望ましい形にして保存するという選択可能な建築物。

旧賛育產科醫院役割を変え今もなお活躍する
コロニアル建築
旧賛育產科醫院 Old Tsan Yuk Maternity Hospital
1992年に建てられた公立の産科医院。職員の宿舎なども完備されていたこの建物は3階建てで、第3級歴史建造物に指定されている。1934年に政府に返還されるまでの間、香港大学医学部の産婦人科病棟として使用されていた時期もあるが、香港で初めて女性の医師が勤務し助産師の養成に尽力するなど、常に産婦人科医院として市民に頼られる存在であった。戦後、病院としての機能を全て病院道に移管した後はコミュニティーセンターとしての役割を担うこととなり、最終的に1973年、現在の名称であるWesternDistrict Community Centreと改名され、今に至る。
昔も今も変わらず市民に愛されて続けるレンガ造りの建物は、今日も誇らしげに西環の街に建っている。

住所:36A Western St.,
電話:(852)2119-5001

Hong Kong
Historical Architecture

從九龍半島望向銅鑼灣一帶保存・修復・再建築…
歴史的建築物の行方は?
新旧が混在する香港では、高層ビルの間を歩いていても歴史を感じる建物にばったり出会うことがある。この歴史的価値ある建造物は、私達の街の発展のため、どのような価値を生み出してくれるのだろうか。
発達する香港社会の中で、私達はより豊かな生活を熱望してきた。以前は、古い建物を壊して新しいビルを建てよう、という動きが見られた香港だが、昨今は市民の反対もあり、古い建物を維持する動きが活発になっている。そして2008年、香港政府は、「歷史建築パートナー計画」を発表したのである。それは、香港の歴史的建築物を保護するための一策であり、価値ある建物を保存すると共に革新的な建物に生まれ変わらせるためのもの。11億香港ドルという莫大な予算を投じ、現段階では第四計画まで立案されている。
香港立法政府この計画に伴い香港政府は、主に政府が保有する建物を利用し、再生を目的とした歴史的建築物を選定する過程に関しては、非営利団体(NPO)が招かれた。社会的事業という形でビジネスやサービスを供給するためこれらの建物を使用する申込書の提出を行うにあたり、NPO団体には、歴史的な建物を保存した上でその歴史的な意味を有効的にするにはどのようにしたらよいかより細かい計画が要求された。そしてその計画は、諮問委員会により評価される。「再生」に関しては、保存、定期点検、修復、再建築、再利用という建築物を保存する以下の5つの方法がある。
■保存
・建物の機能と同様に本来の状態を保持
・老朽化を遅延
例:香港天文台(建物を保存し且つオフィスとして使用)

■定期点検
・建物の外観と構造の点検例:香港大学本部大樓(良い状態が保持され法定古墳に定められている)

1955年のコーズウェイベイ■修復
・構成を加えたり、現存する構成にアレンジを加えたりすることにより本来の状態に修復
例:香港歷史博物館(タイルを修復)

■再建築
・修復とは異なり、まるごと新しい構成と材料で再建。
例:美利樓(Murray House)。香港が再建築を行う中でも最も早い時期に建てられた建築物の1つ。以前は、中国銀行タワーのある場所に位置していたが、1990年に現在のスタンレーに再建築された。かつて利用されていた3000枚ほどのタイルは、全てに番号がふられ再び使用。

■再利用
・建物の構造を変更し、社会機能を持つ建物へ利用。
・建物の価値を保ったまま、現代的に生まれ変わらせ新しい命を吹き込む。
例:油麻地劇場。1925年~1931年の間に作られた九龍地区最大の劇場は、戦前に建てられた唯一の劇場。現在は広東オペラ劇場として2012年から再利用されている。
同計画は、人口の流入や収益に関係なく歴史的な価値と社会の利益を反響する建物かどうかに焦点をあてた計画である。香港を訪れる人々にとって、この街が魅力のある街だと感じてもらえるよう、私達が率先して紹介していくべきものがこの「歴史的建築物」なのではないだろうか。
1895年のセントラル 香港の歴史的な建造物1

騎楼 老朽化、再開発で消え行く「中国式アーケード」
騎馬の脚、或は竹馬のような柱で支えられている姿からこう呼ばれるのだろう。「騎楼(ケイラウ)」とは、華南から東南アジア一帯で広まった住宅兼商業建築様式で、建物の2階部分が道路際まで張り出しており、その下がアーケードになっている建築のことをいう。
中国式アーケード1 中国式アーケード2 中国式アーケード3
「私」である建物が「公」の空間を連続的に提供しているために、半公共的なコミュニティ空間が存在し、その空間が暑い日差しや雨を遮る役割も担っている。
「脚」の部分には店舗や会社の名称などが感じで大きく書かれ、その下を人々が賑やかに往来している様子は、香港の古い写真資料等でよく目にする光景だ。商売をする側にも通行人にも便利なため、この香港でも急速に広がり19世紀末から20世紀初頭にかけて騎楼建築は最盛期を迎えた。英国植民地時代の初期から栄えた上環や西営盤、そして深水捗などに多く建築された。
しかし第二次世界大戦後、香港の人口の急速に増加によって、騎楼様式の建築では人々を収容しきれなくなり、香港は深刻な住宅不足問題を抱えることとなった。これに対応すべく当時の香港政庁は、より効率的で現代的な公共住宅団地を造成し、流入して来た人たちに住居を提供した。それ以降、騎楼建築はほとんど建てられなくなり、今では貴重な建築様式となっている。しかし、特に歴史的な由緒もなく老朽化した騎楼は、人知れず取り壊され、消え去る運命にある。そんな中で比較的多くその姿を見る事ができる地域は深水捗、旺角、太子などである。
中国式アーケード4 中国式アーケード5 中国式アーケード6

 
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