中国のことわざ「一年の計は元旦にあり」にまつわる話

2016/01/05

元旦3伝統的雰囲気が薄れる日本でも大晦日から三箇日は一種独特な空気に包まれる。ところが中国ではそんな雰囲気は微塵もない。もちろん中国でも1月1日は”元旦“という祝日であり、2016年の場合は1日から3日までが法定休日と定められている。では、”元旦“とは中国人にとって何なのか?中国語では年の最初の日(元日)の意味で使われている。問題なのは、どの暦を採用するかで年の最初の日が変わることだ。旧暦とグレゴリオ暦という2つの暦が存在する中国では、旧正月の元日を”春節“、グレゴリオ暦の元日を”元旦“と呼ぶことにしている。伝統的な行事は旧暦に則って執り行われるため、現在の”元旦“には特別な意味は何もない。同じ「元旦」という漢字を見ても日本人と中国人ではイメージに違いが生じるはずだ。
さて、元旦と聞いて思いつく諺といえば「一年の計は元旦にあり」だろう。ある辞書によれば「四計の一。その年の計画は元旦に立てるべきである。まず初めに計画を立て、事にあたるべきだ」と説明されている。「四計」(しけい)は、「﹇馮応京『月令広義』﹈一日の計、一年の計、一生の計、一家の計の4つのはかりごと」と書かれている。この説明によれば出典は中国ということになる(※)。馮応京は、明朝末期の人で、現在の江蘇省盱眙県の出身。難関である科挙に合格した官僚で、学者でもあった。馮応京が著した「月令広義」(全25巻)には、中国の伝統的な年中行事・儀式・しきたりなどについて解説されており、古書からの引用が多いため、中国の民間伝承を研究する上での貴重な資料とされている。その『月令広義・歳令』では「四計」について言及されており、「一日の計は晨にあり、一年の計は春にあり、一生の計は勤にあり、一家の計は身にあり」と書かれていると解説されている。なるほど由来ははっきりしているのか……。
でもよく見ると「元旦」という二文字はまったく登場せず、「一年の計は”春“にあり」となっていて今一ピンとこない。しかも、中国語サイトを調べても『月令広義』と「一年の計は春にあり」(一年之計在於春)を結びつけるような言及は見つからない。「四計」なる言葉もヒットしない。”一年之計在於春“の出典については諸説あるとされており、唐代の宋若莘・宋若昭姉妹の『女論語』にある”一年之計、惟在於春“などが列挙されているが『月令広義』は登場しない。4種類の「計」については”預成四計“として紹介されており、参照文献として『増広賢文』が挙げられている。ここでは”一年之計在於春、一日之計在於寅。一家之計在於和、一生之計在于勤“(一年の計は春、一日の計は朝。一家の計は和、一生の計は勤)となっている。「増広賢文」は「昔時賢文」とか「昔今賢文」としても知られている。古今の有名な処世訓・儒教論などの名文を集めて明代に編さんされた読み物だ。
今では日中を問わず「計」を「計画」と捉えることが多い。しかし、この文脈からすれば本来は「はかりごと」つまり「心構え」としての意味であることがわかる。中国語の現代文による説明でも「対於○○最関鍵的是□□」(○○で最も大切なのは□□」となっている。また、”一年之計在於春“の解説をみると、この言葉はもともと農耕の営みの中から生み出された名言で、一年の収穫は春の種まきにかかっているという経験から来ている。それで、年のはじめにしっかり働けばその年の基礎となる、という説明もある。
いずれにせよ、中国語文献の中には”元旦“という二文字を当てた例文は見つからなかった。”一年之計在於□□“という言い回しは古くから中国にあり、それが日本に伝わったと考えられるが、もしかしたら”元旦“が当てられたのは日本でのことなのかもしれない。しかも本来の意味に含まれる「○○で最も大切なのは□□」からは微妙にズレて、”計画“に重きが置かれている。これも”元旦“に対するイメージの違いから生じてきたのかもしれない。
※諸説あり

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