郷に入れば郷に従え……る訳はないっ!Part2「道はゴミ箱ではない」

2016/07/27

前回のあらすじ
道のゴミについて考えていた順は、ある日車の窓からペットボトルが飛んでくるという光景に遭遇した。順の心の内には沸々と込み上げてくるものがあり、つい……。

指示
私はそのペットボトルを拾い、人の好さそうな顔で近付き、車の中にわざわざ戻してあげたのだ。「道はゴミ箱ではありませんよ(道路不是拉埃桶)」と一言つけ足し指示て。怪しい中国語だったからか、はたまたその行為にびっくりしたのか、絶句したままのおっさん。私はそんなおっさんを尻目にさっさとその場を後にした。
そう。私は目の前でポイ捨てを見たらその人にゴミを返してしまうのである。バス停で、近所の道で、御丁寧にゴミを拾って、満面の微笑みで返してあげるのだ。要らぬお節介だし、怖い思いをするかもしれない(実際にあった)。でも、見なかったフリはできないのだ。
「できない」と「やらない」には大きな隔たりがあると常々思っている。「できない」というのは、それ自体を知らない、または知っていても能力的に無理だ、ということだろう。しかし「やらない」というのは、知っている上であえてそれをしないという、たちの悪さがある。
その後の授業で、生徒たちにこの「ポイ捨て」と「できないやらない」について話し「みんなは、こういう時どうする?」と質問してみたのだが、その場ではなかなか返事が返ってこなかった。きっと今まで、こういうことを改めて考えたことがなかったのかもしれない。
しかし後日、ある生徒が「順先生の授業の質問がまだ心の中にまわっている」と言っていた。なんでも、ある映画を観た時に「あっ!」と思ったそうだ。何が善くて何が悪いのか。「できない(知らない)」と「やらない」の違いを考えてくれたというのだ。もちろん私は自分の考えを生徒に押しつける気はない。しかし、何かを考えるきっかけになっているのなら、それが一番だと思っている。
他の国で生活をする、他の国の言語を勉強するときには、文化や習慣、考え方の違いに直面し、どう折り合いをつけていくのかが求められると思う。ファストフードのお店でトレーをどうするか。そのままテーブルに置いていくのか、自分で片付けるのか。まずは「郷に入れば郷に従…わず、善い習慣は続けていこう!」をモットーに広州ライフを楽しんでいきたいものだ。

[ヘイワード 順]
「母」、「妻」、「日本語教師」、「大学生」、「ライター」、「女」の“6足のわらじ”を履いて、中国は広州でパタパタと、何でもかんでも「なんとかなるさー」で乗り切る毎日。広州歴5年になるも中国語は駄目駄目レベル。夜ごはんの主食はビール。
指示指示指示

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