読み切りお店紹介小説「隠れ家」

2018/10/03

それは、細い路地に迷い込んだ、或る雨の降る日の出来事でした。
雨しのぎにちょいと借りた軒先が、その店だったのです……

 

夕暮時、ネオンが雨に霞む時刻だったせいでしょうか。「隠れ家」という名に惹かれ、私はふらりとその店に入りました。

「あ、いらっしゃいませ!」

張りのある、ちゃきちゃきっとした大阪弁。明るさと、強さを秘めているまなざし。どうやら彼女が此処の女主人のようです。一本何かが通った風格がそう思わせるのでした。店の中にはテーブルが6つほど、奥には12人は座れそうな座敷もあります。

 

7席ほどのカウンターに腰をかけ、とりあえず麦酒を頼みました。雨に濡れた前髪をかき上げ、煙草に火を点けたところで、

「肴は何にしますか〜?今日は熟れ頃のアボガドと薬研のいいのが入ってますよ」

食に疎い私はそれらを使って何か、と曖昧な注文をしたのです。肌理の細かい泡の麦酒を差し出しながら、彼女はこう言いました。

「れおなです。小さな店ですが、今後ともどうぞ御贔屓に」

 

暫くして、れおなさんはそっと、小鉢を2つカウンターに置きました。

「烏賊チャンジャアボガド。辛いの、好き?海苔でくるりと巻いて食べてみてくださいね。お酒が進みますよ〜。それから、薬研の梅肉和え。柔らかなお肉が少しついているでしょ。それに歯ごたえのある軟骨と梅のさっぱりした味が、なんともいえないんですよ〜!」

隠れ家_6 隠れ家_5

 

確かにそうです。烏賊チャンジャのぴりっとした辛さも、アボガドでまろやかになる。つい感嘆の声を漏らしてしまいました。麦酒のおかわりを頼み、薬研をひと口。昼間のもわっとした暑さでじんわりかいた汗も、今夜のじめっとした雨も、ぱあっと吹き飛ぶような気分になったのです。そのすっきりとした味に、お恥ずかしながら箸も、麦酒の進みも止まりません。

隠れ家_3

「そろそろお造り、いきますか?」

 

個人的に、その店の刺身の美味しさを測るのは鮪と決めています。そこで鮪の刺身を頼みました。ついでに、お勧めの酒もです。

 

 

 

「今夜はお独り?じゃ、こちらをお作りしましょ。暑いから、大きめのグラスで冷たいのを、ね」

隠れ家_2

そこには「鷹」と書かれた、琥珀色のウイスキーがありました。夜へいざなう、その深みのある色。おずおずと、ハイボオルで、あの、れおなさんもどうですかと尋ねると

「わ!やった!嬉しい〜!一杯頂きます!!」

と氷塊をグラスに入れながら柔らかな満面の笑み。

 

 

 

 

 

控え目な、どうぞ、の声に目をやると、料理人が鮪の刺身を差し出しています。あ、どうも、と受け取り、まずは醤油をつけずにそのままを。色艶もそうですが、それ以上に鮪の温度が絶妙で、ひやっとしたかと思った途端にとろけます。先ほどの、れおなさんの笑みと同じです。滋味としか言いようがありません。

「うちの料理人は、ほんと、料理が好きなんですよ。腕と勘が良くて、食材の組み合わせでも、温度もそう。あたしがこう、ざっくり伝えても、それがきちんと形になって出てくるんですよ。あ、あなた、洋風のものは好き?」

隠れ家_4

美味しい洋酒をいただいていますから、何か良い組み合わせがあるのかもしれません。では、何か洋風なものを、と頼みました。暫くすると、じゅうじゅうという音と共に、まさに洋食といった香りが漂ってきました。目の前にはこんがりと焼け、とろりとソースのかかったハンバアグがありました。もう駄目です。無心に、すみやかに頬張ります。ふうわりとした肉。噛みしめると味わい深い肉汁がコクのあるソースと混ざり合います。「ポン酢おろしで食べる和風も、ハイカラにチーズを載せたのもありますよ〜。でも今夜は、お酒の色に良く合う洋風で。手捏ねでね、つなぎも彼が挽いた生のパン粉を使ってるんですよ」

 

あっという間に夜は更け、私はすっかり満腹です。ほろ酔い加減で勘定を済ませながら考えました。なるほど、他にはない料理と、れおなさんの優しさをこっそり味わうための「隠れ家」なのか、と。

「あ、雨があがってますよ。ほら、見て」

れおなさんの指の先には、先ほどのハンバアグの横にあった目玉焼きのような、叢雲の中の月がありました。

 

 


隠れ家_1

居酒屋 隠れ家
住所:広州市天河区天河南二路16号103
電話:(86)20-3847-5373、(86)186-6500-0319(れおな)
時間:17:30~00:30(LO 23:30)

Pocket
LINEで送る