花樣語言 Vol.159 手袋を買いに

2019/02/04

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「手紙」は便器で流せます、という案内文が日本の空港や観光地のトイレに中国語で書いてある。日本のトイレは「手紙」を流しても詰まらない。この心得がないと、ツアー客が訪れるたびに日本のトイレの小さなごみ箱は使用済みの「手紙」によって満杯であふれかえってしまう。中国語で「手紙」とはトイレットペーパーのこと。不要なダイレクトメールや失恋後のラブレターを流していいわけではない。便箋は、きっと詰まる。韓国語では、てがみは「便紙(ピョンジ)」。便所と郵”便”の関係が漢字文化圏内でいささか複雑だ。

香港では「手紙」は全く見ない。もっぱら「廁紙」だ。筆談でトイレ(廁所)を「便所」と書いて見せると「”便”利店」(コンビニ)かと思われる恐れがある。コンビニに案内されても香港のコンビニにトイレはない。「大便」と書けば、これは絶対通じる。てがみは中華圏では「信」。日本語で、通信、配信、受信、送信、交信、と言うが、紙のてがみのやり取りではないので日本人に「信=てがみ」という概念はない。

漢字語は、思わぬところに、案外気づきにくい意味の違いがある。香港のスーパーの食品売り場に「試食」とあっても、大概、カネを払わされる。「免費試食」のように書いてない限りタダにはならない。「試食」を勝手に無料にしてしまったのは日本のほうなのだから仕方ない。漢語の「試食」の中に無料を表す文字はひとつもない。”試”しに(買って)”食”ってみろ(うまいぞ)、ということだ。「留守」とは、日本では「不在」を意味する。が、漢語圏では、人は家に”留”まって”守”っている。当然、在宅だ。日本で「球場」と言ったら、野球場である。辞書もそう断言している。香港ではサッカー場もラグビー場もテニスコートも、”球”技をする場所は「球場」だ。「単身」と「独身」。日本では「単身赴任」するのは既婚者である。が、中華圏では、単身は独身。バブル期の独身貴族(完全に死語!)は「單身貴族」と訳された。

日本のニュースで言う「狂言」とは、ニセの事件をでっちあげて被害者のふりをしたりする行為を意味する。日本の伝統芸能、狂言の比喩だ。香港のメディアもたまに「狂言」と書くのだが、文字通り、狂った言葉、すなわち妄言とか暴言、トンデモ発言、のような意味だけで使っている。和製英語「モンスター・ペアレント」は「怪獸家長」と訳されて使っているが、教師に理不尽な要求を繰り返す親(日本)ではなく、子供に猛勉強を強いる親(香港)に意味が替わっている。「事件が藪の中」という場合、香港のメディアは、事件が「羅生門」と書く。慣用句「藪の中」は芥川龍之介の小説『藪の中』に由来するが、これの映画化が黒澤明監督の『羅生門』。映画のほうしか知らないので、証言が錯綜して真相が藪の中、という状態は「羅生門」なのである。

香港で「手袋」とは、手に持つ袋、すなわちハンドバッグのことだ。女性の政治家を「手袋党」と言ったりする。広東語で「てぶくろ」は「手襪」。「襪」は靴下のことなので、手にはめる靴下、である。北京語などでは「手套」。香港ではサッカーのキーパーや野球のグローブ、あるいは工事現場で使うような特殊な手袋が「手套」だ。日本では手袋そのものの呼び名より、動詞が多様である。Jタウンネットの1年前の統計では、手袋を「はめる」と言う人は全国で39.8%、「する」は36.8%、「はく」18.0%、「つける」5.4%。「はく」は北海道、青森、秋田、福井、香川、徳島、佐賀で多数派。広東語の「手襪」と発想が同じで面白い。足袋(たび)を手に履けば手袋。日本の手袋の歴史は武士の弓懸(ゆがけ)に遡れるが、室町時代から「さす」と言っていた。ネット調査には表れてないが「手袋をさす」は岸和田(大阪)、金沢、和歌山、奈良、三重、岡山などの高齢者が言う。ほかにも「あてる」「ぬく」「いれる」などがある。「する」は関東とその周囲に多いが、岩手、宮城、愛媛、高知、山口、鹿児島、長崎などでも多数派だ(薩長土佐が含まれている)。「はめる」は近畿一円、中部一帯、岡山、広島、福岡、熊本などに多い。辞書にも手袋は「手にはめるもの」と書いてある。教科書に載っていた『手袋を買いに』でも「はめる」である。「つける」が多数派なのは唯一、山形だけ。東京は興味深い。「はめる」30.7%、「する」36.9%、「はく」24.1%、「つける」8.3%。「はく」がなんと4人に1人、全国平均を上回っている。手袋の名産地、国産品の9割を作る香川では100%「はく」である。

新美南吉の童話『手袋を買いに』はすでに版権が切れているのでパロディーにしても怒られない。…香港の森に住む母さん狐は、かあいい(原文ママ)娘に手袋を買ってやろうと思いました。娘の子狐は、「母ちゃん、お星さまは、あんな低いところにも落ちてるのねえ」とききました。「あれはお星さまじゃないのよ。あれはセントラルの灯なんだよ。人間はね、相手が狐だと解ると、手袋を売ってくれないんだよ、それどころか、掴まえて皮を剝いで、マフラーにしてしまうんだよ」。VISAカードを持たされた子狐は、一人で夜の町までよちよちやって行き、無事に手袋を買うと、お母さん狐の待っている方へ跳んで行きました。「母ちゃん、人間ってちっとも恐かないや。掴まえやしなかったもの。ちゃんとこんないい流行の手袋くれたもの」と言ってルイヴィトンの「手袋」をパンパンたたいて見せました。お母さん狐は、「ほんとうにブランドはいいものかしら。ほんとうにブランドはいいものかしら」とつぶやきました。

 

大沢ぴかぴ(比卡比)

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