なぜ、日本人に武士道は伝わらないのか 第1回

2020/06/24

P09 school bushido_745_2世界中で注目されている日本人特有の性格や行動の数々。それらの由来は武士道精神にあった。
しかし、日本人の間では武士道精神が何たるかが驚くほど浸透していないのが日本の現状。
日本最初の国際人と言われた新渡戸稲造先生による「武士道」を読み解きながら、日本人への理解を深めていく。

 

 

 第1回 日本人を知らない日本人 

 

 「それでは、あなたの説によると、日本の学校においては、宗教教育はなされていない、ということなんですか」と、聞かれた。「ありません」私がそう答えると、氏は驚いたように突然歩みをとめて、「宗教がない! それでどうして道徳教育を授けることができるのですか」と、くり返したその声を、私は簡単には忘れられないだろう。(「武士道」第1版序文)

 

 私が外国で暮らすようになってから8年が経つ。「外国で8年」と言うと多少立派に聞こえるが、私の場合は韓国、中国、そして香港といったお互いに顔も背丈もさほど変わらないような場所をあえて選んで生活をしてきたわけなので、未だに金髪で脚長の人間と話すときには意気込み、力んで、声がデカくなるのである。

 お互いに見た目が変わらないということは現地に溶け込む上で大変ありがたいことである。たとえば中国の田舎の大学の授業に忍び込んでも誰も歓迎はしてくれないが追い払おうともしてこないし、韓国や香港の街を歩いていも、何事もなく家までたどり着くことができる。これがインドやフィリピンだったらチャイニーズだと思われてひったくりや誘拐など酷い目に遭って生活どころではなかったかもしれない。

 

 

謎が多い日本人の行動

 一方で、外国人のことを知れば知るほど、分からなくなることがある。それが日本人のことだ。最初は「なぜ中国人は…」と思うことも多かったが、外国で何年か生活をしているとふとある時から「なぜ日本人は…」という疑問に変わるのだ。

 これははきっと外国生活の中で外国人に日本人についての質問をされすぎたことによるものだろう。どこにでもいる自称「二ホンダイスキ」の外国人たちが、所詮サムライとスシとホンダくらいにしか興味はないのだろうと思っていたら大間違いだ。21世紀の外国人は日本人よりも日本人を掘り下げようとすることを厭わない。

 

「日本人は嫌な誘いにもなぜ笑顔で応えるのか?」

「日本は自殺する人が多い。自殺するときに靴を脱ぐというのは本当か?」

 

 果たして、これらの質問にグーグル検索なしでかれらの満足のいく回答を導き出すことができる日本人は今どれくらいいるだろう…

 

 

信仰がない日本人

 日本人が日本人のことを上手く説明できない理由を、冒頭のラヴレー教授(ベルギー法政学の権威)の驚きをヒントに考えてみる。

 私が思うに、日本人、特に1945年以降の戦後教育を受けてきた日本人には宗教という概念が希薄で、一つの強い信仰をもとに日本人としての誇りや哲学を個々人が身につけることができなかった。そして、現代の日本人には信仰がないから日本人とはどうあるべきかを見失ってしまっているのではないかと。

 信仰の意味については台湾の哲人李登輝氏が著書「武士道解題」で以下のように説明してくれている。

 

 「なぜイエスが磔(はりつけ)にされて、そして生き返ったのか」どう考えても理性では説明がつかない不可能なことです。(中略)そうなのだ、イエスは本当に磔にされて生き返ったのだと信じること、それがすなわち信仰なのです。

 

 日本人がこの類の話を聞くと「そんなことがあるわけがない」と考える人(私もその一人)が多いのではないだろうか。こう考えてしまうのは戦後教育によって日本人の頭が物質主義に偏ってしまったからに違いない。もちろん、日本人にも信仰や信念はある。ただし、それは個人レベルでの話であり、当時新渡戸先生がラブレー教授の言葉に衝撃を受けたのは、日本人全体が一つの、日本人独自の信仰を持っていないことに気がついたからだろう。

 では、日本人が持つべき日本人独自の信仰とは何なのか。

 そこで新渡戸先生が目を付けたのが武士道精神なのである。

 


judo_prof筆者プロフィール

宮坂 龍一(みやさか りゅういち)
東京都出身。暁星高校、筑波大学体育学群卒業。香港歴7年。柔道歴22年。妻は香港人。

 

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