花様方言 Vol.193 <づぼらのづ、チヂミのヂ>

2020/07/08

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 コロナ禍のあおりで、フグ料理「づぼらや」の新世界本店と道頓堀店が閉店することになった。フグの形の巨大提灯を店先に掲げている、あの有名な店だ。「ずぼら」というのはおおよそ「性格や行動がだらしないこと。無精。いいかげん」といったような意味。関西以外では知らない人も多いが、いまや大概の国語辞典に載っている。濁音で始まっているので比較的新しい口語・俗語起源であろうと想像できる。それに濁音が二つ続いているので擬態語・擬音語起源では、とも思える。大体その通りで、近世の上方言葉の「ずんべらぼん、ずんばらぼん」あたりからできてきたらしい。フグ提灯には大きく「づぼらや」と書いてあるが、ズボラは「ずぼら」である。

 創業が大正時代だから旧仮名か、と思うかもしれないが、そういうわけでもない。歴史的仮名遣いでも「ずぼら」だ。ただし江戸時代の仮名遣いは、まさにづぼら(いいかげん)で、ドジョウ料理の店が「どぜう」と書くのも歴史的仮名遣いとしておそらく正しくない。「どぢやう」(どぢゃう)が正規とされる。小林一茶の俳句にこういうのがある。「づぶ濡れの大名を見る炬燵かな」。これも「ずぶ濡れ」が正しい。大名行列が雨の中ずぶ濡れになって通っていくのを自分はぬくぬくと炬燵(こたつ)に入って(障子のすきまから)見ている。もし侍に見つかったら、ええい無礼者、頭(づ)が高い!と切り殺されていたかもしれない。

(Confirmed)747_Godaigo じ、ぢ、ず、づ、を「四つ仮名」(よつがな)という。平安時代まで京都では「じ:ぢ」「ず:づ」は発音し分けられていた。室町時代あたりからだんだん区別があやしくなってきて、江戸時代には「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」が全く同じ音になった。だから書き分けにも苦労するようになった。地域差もあって、東北などではこの4つは4つとも同じ発音で、お鈴(すず)さんとお静(しづ)さんは呼び分けられることがなかった。土佐や九州の大部分では、だいたい明治大正生まれの世代まで、四つ仮名をみな区別できた。だから富士(ふじ)と藤(ふぢ)、屑(くず)と葛(くづ)を発音し分け、聞き分けていた。信濃の生まれで江戸育ちの一茶はずぶ濡れをづぶ濡れと書き間違え、大阪のあきんどはずぼらをづぼらと書き間違えた。今の時代、「づぼらや」のほうが目立つし、集客力があっていいかもしれない。

 新仮名の時代、すなわち今の話だが、四つ仮名の混乱はなお続いている。先日、小学6年が書いた作文で「むづかしい」というのを見た。あなたの学校では歴史的仮名遣いで教えているのですか、と、教師をからかってやりたくもなるが、なぜ「づ」を書いてしまうのかは実に興味深い問題だ。かつて「富士塚」という町名の場所に住んだことがある。転入届を出したとき区役所の職員に、「富士塚」は「つ」に点々ですか、「す」に点々ですか、と聞いてみた。99.9%「づ」だと確信があったが、つい遊び心が出た。職員はなんと、あれやこれや書類を調べに調べて(当時まだ役所にコンピュータはなかった)、待ちに待たされたあげく、やっとのことで「ふじづか」の振り仮名付きの資料を見つけてきた。金田一京助(探偵ではない)博士も言ったが、まさに「漢字に隠れ、恥じ無きを得ている」。漢字を使っているがために仮名の使い分けがわからなくなっている。教師もわからない。みんながわからないので間違いを笑う人すらいない。

 「現代仮名遣い」の規則は次のようになっている。まず、「ぢ、づ」は書かずに「じ、ず」だけを使う。これが大原則だ。そして例外的に次の二つの場合のみ「ぢ、づ」を書く。すなわち、縮む(ちぢむ)、続く(つづく)のような同音の連呼、と、鼻血(はなぢ)、気付く(きづく)のような2語の連合による連濁。たったこれだけだ。これさえ覚えておけば大きく間違えることはない。だがこの折衷案には落とし穴があった。「世界中」は2語に分解する意識が薄いので「せかいぢゅう」ではなく「せかいじゅう」とされた。よって、人妻は「人の妻」だから「ひとづま」、稲妻は「稲の妻」ではないので「いなずま」と分けられて、結局、混乱は消えなかった。その後、せかいぢゅう、いなづま、なども許容する、と改定されたが、どうにもならない。自分の言語で書き間違えが起こるような場合、大概、文字のほうに問題がある。現行の条件下で四つ仮名の書き分けを徹底させるのは、無理だ。

 ローソンにこういうポスターが貼ってある。「挽きたて淹れたてのコーヒーを、一杯づつお出しします」。一杯ずつ、が正しい。その下に「SARD UNDERGROUND」のチケットの案内が貼ってある。このバンドは『名探偵コナン』のエンディング『少しづつ 少しづつ』を歌っている。少しずつ、が正しい。(作詞はZARDの坂井泉水さん。新仮名で「いずみ」、旧仮名では「いづみ」)。韓国料理のチジミは「外来語の表記」の規則に則り「チジミ」でいいのだが、NHKは特例として「チヂミ」としている。世論調査で8割以上が「チヂミ」を支持したから、だそうだ。外来語の別扱いにも、しょせん無理があった。NHK放送用語委員会が「チヂミ」を認めると決めた平成27年6月26日は、「この字がいいね」と君が言ったから、チヂミ記念日。

 大阪市の松井市長はフグ提灯について、「大阪の名物看板なので、オブジェとして残せる形を考えていきたい」と述べた。づぼらやの「づ」が残る。だが、日本人が「cars」(車の複数。カーズ)と「cards」(カードの複数。カーヅ)を近い将来、区別できるようになるとは思えない。おやぢ、ぢりぢり、づかづか、少しづつ、のような表記だけが少しずつ、じわじわと増える。混乱のみが、いつまでもつづく。

大沢ぴかぴ

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