アジア健康堂 川﨑 睦美さんにインタビュー

2014/11/17

「継続は力なり」諦めなければ必ず結果はついてくる

夢を求めて夫と共に来港したのが13年前、2001年のこと。しかし、すべてゼロから始めなければならなかった香港での生活は、そんなに甘いものではなかった…。
「格好なんてどうでもいい。できることならなんでもする」と、歯を食いしばった日々はどのように実を結んだのだろうか。夫と2人3脚で歩んできた香港生活について、「アジア健康堂」の川﨑睦美さんにお話を伺った。

川﨑睦美

アジア健康堂 Director
川﨑睦美さん
インタビュー

香港へ来られた経緯を教えて下さい。

日本で結婚が決まった時、夫が「自分で何か起業したい」と言ったんです。突然で驚きもありましたが「一緒に挑戦してみたい」という思いで賛成しました。

夫は元々サラリーマンで、香港では駐在員だったので、その経験を踏まえ、会社を作るなら香港と決め、結婚を期に2001年に来港しました。夫は以前から個人輸入に関する仕事をしたいと考えており、私は日本がITバブルだった頃、女性向けのウェブマガジン関連の仕事をしていたので、「私がウェブサイトを作るから、2人で会社できるかな」なんて、今思えば軽い気持ちで、現在の「アジア健康堂」を設立しました。コネやあてが何もないところからのスタートで当初は大変でしたが、夫と2人で頑張るんだ、という気持ちでしたね(笑)。

香港で始まった新生活。当初の生活はいかがでしたか?

初めての海外生活だったので、ホームシックになりました。言葉は全然わからない。友達もいない…。正直、最初は香港が嫌でたまらなかったんです。会社の方も順調とは言えず、悲しい思いばかりでした。運転資金も潤沢とは言えないので、大きなことは何もできず、全く動けない状態でした。小さい会社ですので、なかなか相手にしてもらえず、挫折感を味わう日々でしたね。

生活の足しになれば、といろいろなアルバイトもしていました。倉庫で重たい荷物を運んだり、めがねの検品をしたり…。「格好なんてどうでもいい。できることならなんでもする」という気持ちで、お金になることであればなんでもしていました。

香港にいらしてから3年目、娘さんを授かることに…。

生活はまだまだ落ち着きませんでした。お互い独身時代に貯めてきたお金もそれなりにあり、義父が応援してくれていたお金もあったので大事にそのお金を使っていたのですが、会社の運営や生活費にどんどん貯金が減っていく、特に香港は家賃が高いのでそれに費用が掛かりお金のない状態でした。徹底的に切り詰めて、月の食費が2人でHKD1,000の時もありましたよ。今考えると何を食べていたんでしょう(笑)。そんな時に妊娠したのですが、「これで子供が産まれたらどうなるんだろう…。おむつも買えない。ミルクも買えないから母乳にするしかないね。」と不安で一杯でした。

子供を授かっても苦労の日々は続いた。そんなある時、突然、近所の老婦人が「子供がお金をつれてくるから心配しなくていいよ」と声をかけてきたという。その時は心配してくれいるという程度でしか受け止めることができなかった。しかし…子供が産まれてから一転。不思議なことにベビー系の仕事をもらえるようになり、会社が軌道に乗り始めた。それから徐々に仕事も増え、生活も安定、現在の貯金の減らない生活へと変化を遂げていく。さりげない老婦人の言葉に驚きを隠せない。

色々な出会いがあったかと思いますが…その中で特別な出会いはありますか?

必死にアルバイトをしていた当時、女性向け媒体の仕事で「香港最大のベジタリアンレストラン」を見つけ、取材を申し込んだことがありました。そのころはまだ香港のことは無知で言葉にも不自由していたんですが、やらなければお金にならないと必死でした。オーナーは香港人でしたが取材は快くOKしてくれました。私の必死さと情熱を汲み取ってくれたんだと思います。それから、その取材を期に今でも仲良くさせてもらっています。体がおかしいというと、中医師の先生を紹介して下さったり、こういうものを食べなさいとか、色々助けてくれるんです。さらに、娘を日本で出産して香港に帰って来た時は、空港までわざわざ迎えにも来てくれました。友達すらいなかった私にとっては、香港のファミリーともいうべき存在となっています。

13年香港で生活され、現在も会社を維持されてるのは本当にすごいですね。

本当に奇跡のように感じます。来港当初の辛かった生活からいろんな方に出会って助けていただいたから今があるのだと思います。周りの方々に生かされているんだなと強く感じます。また、子供が出来た事も大きいですね。やはり根性が入りました(笑)。

仕事面では、支払が滞りがちな業者とかも未だにありますが、一生懸命やっていればついて来てくださるお客様もいらっしゃいますし、先の見通しもたてられるようになってくる。やっと「次はあれをやろう」と将来の展開を考えられるようになってきました。

仕事の上で今まで喜びを感じたことは?

ベビー関連商品をはじめた当初、色々な方々とのプロジェクトを通して出来上がった、ある商品がありました。ちょうどその時期に、大学時代の友人に子供が産まれたので会いに行ったら、その商品を使っていたんです。友人はその商品が私達が開発したものだと言う事は全く知らずにです。とても嬉しかったですね。もの作りの仕事は、商品化されるまでに何年もかかりますが、販売されている期間は製作時間よりも短いかもしれません。でも、自分の商品とお客様がつながっているところを見たときに大きな喜びを感じます。仕事って楽しいなと実感した瞬間でした。

今後売り出して行きたい商品は?

弊社では、健康関連商品の自社会員向け通販事業と、通販業者様向けの仕入、梱包発送代行業務のほかに、赤ちゃんの健やかな成長を応援するというコンセプトでベビー関連商品の企画製造販売を行っています。今は使い捨てベビーエプロンやベビーカーカバーなど、これまで日本で販売してきた商材を香港内で展開する取り組みをしています。このほか、お母さんのようにおしゃれがしたいというお子様のために開発されたキッズコスメなど日本の基準で製造された安心でき、かつ母子で楽しめるアイテムも紹介していきたいなと思っています。

川﨑さんにとって香港はどういうところですか?

香港の日本人社会はすごく狭いと感じますが、その分濃いお付き合いができるんです。さらに、言葉もなんとかなるようになってきた現在では日本人以外の友達もでき、すごくいいお友達に巡り会うこともできました。時の流れや出会う人によって、香港に対するイメージも変わってきた様に思いますが、今は自由な香港が好きです。

ご趣味または息抜きは?

音楽が好きでバンド活動をしています。メンバーは同世代の女性でボーカル、ギター、ベース、ドラムの4人です。音楽はロック系でACDC・ボンジョビ・ポリスなどを演奏しています。私の担当はベースです。昔から吹奏楽や軽音学部に所属したりと音楽は大好きでエレキとベースを大学から始めました。香港で演奏するチャンスはないだろうなと思っていましたが、バンドを組んで活動されている方に出会う事ができました。

今後の目標は、子育てをする中で感じたり体感したりする事をもとに、安心で安全かつ母と子の絆を強くする商品の販売や活動を行っていきたいとのこと。そして「これからも香港で暮らすこと」がこれからの夢だという。

川﨑睦美ファミリー 川﨑睦美の趣味

川﨑 睦美(かわさき・むつみ)さん プロフィール
香港在住歴13年。ご主人と共に香港でアジア健康堂を設立。10歳になる娘さんが1人。音楽好きでバンド活動を行っている。お仕事ではオンラインでウェブデザイナーの勉強をして既に修了済み。休みの日は娘さんの受験のサポートに励んでいる。

アジア健康堂

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