任天堂とアタリビデオゲーム事業40周年

2017/08/14

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忘れがちな事実だが、マイクロソフト社のXボックスでおよそ16年、ソニーのプレイステーションですら23年と、家庭用ゲーム機産業の歴史は非常に浅い。だがゲーム業界のビッグネーム2社が、事業開始から今年で40周年を迎えた。

「Atari」と任天堂はどちらも1977年にビデオゲーム事業をスタートした。どちらも業界のアイコンであり、双方シェアに浮き沈みを抱えてきたが、業界の中で依然としてオンリーワンの地位を保っている。

1977年9月11日、Atari2600で鮮烈なスタートを飾ったAtariは、家庭用ゲーム機器の基盤を築いたが、間もなくライバル達の勢いの前に失速した。しかし現在でも「Atari」ブランドは健在で、根強いファンがいる。同社の最後の製品は1993年にデビューしたJaguarだったが、販売は3年間のみだった。今年初めに、Atariboxというデバイスをリリースする計画を発表したが、詳細はまだ伝わってきていない。

一方、任天堂の市場参入は地道なものだった。マリオやゼルダ、ドンキーコングなどのキャラクターが登場する以前から、同社はポン(Atari社のビデオゲーム)を真似てColor TV Game 6とColor TV Game 15という2種のビデオゲームを製造していた。

それらのデバイスは原始的であったが、AC電源アダプターを省き、他社より製品を安い価格に抑えるなどの差別化を怠らなかった。この経験は後に任天堂の3DS XLでも生きた。

任天堂の歩んだ道のりは決して平坦なものではなかった。NESやスーパーファミコンなどの製品は大ヒットしたが、GamecubeやWii Uの売上は伸び悩み、しばしば任天堂の時代は終わったのか、という議論の的となってきた。

しかし同社の勢いはスイッチの発売で再び復調の兆しを見せており、3月末時点で同製品は全世界で224万台の販売を達成し、強力なソフトウェアラインナップによって、この夏最も注目されるアイテムの1つになっている。

需要に供給が追いつかないのが問題となっているが、Nintendo of Americaの社長、Reggie Fils-Aime氏は、「改善に保証はできない」と述べた。

「ホリデーシーズンには多くの消費者に任天堂スイッチを販売したいですが、それは両刃の剣です。良質のコンテンツをより多く発売するほど、需要は増し、サプライチェーンに圧力がかかります。 私たちはその挑戦を深く認識し、できる限り早く供給を増やすよう努力しています。」と語った。

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