ヴィクトリア ハーバー特集14・ヴィクトリア ハーバー物語

2015/03/25

ヴィクトリア ハーバー

女王の名前にちなんで命名

香港では1842年にイギリスによる植民地時代が始まった。ヴィクトリアハーバーの名前は、当時のイギリス女王だったヴィクトリア女王にちなんでつけられたものだという。それ以前は「尖沙咀洋面」あるいは「中門」などと呼ばれていた。ヴィクトリアハーバーの平均水深は12メートル。最も深い航路は鯉魚門付近で約43メートルもあるという。大型船舶が運航できる自な水深があり、港としての要素を備えていた。イギリスは、早くからヴィクトリアハーバーが東アジアにおける海運の要衝となると、その潜在力に着目していた。そこで、1842年以降、すぐに海運業に注力したといわれている。のどかな漁村は貿易港へと変貌していく。また、イギリスは、香港に平地が少ないことから、湾の埋め立てにも精力的に取り組んだ。

世界屈指の港としての地位を築いた香港では、1900年代始め造船業も盛んになった。当時、香港にはアジアでも最大規模の2つのドックが、クォリーベィ(鰂魚涌)とホンハム(紅磡)にあった。しかし、1970年代以降に造船業は衰退。2カ所のドックは1970年代~1980年代に解体されて、チンイー(青衣)に開設されるドックに統合された。かつてのドックは、住宅とショッピングセンターにリニューアルされて、現在の太古城と黄埔花園となっている。

当初の交通手段は船だけだった

香港において、ヴィクトリアハーバーによって隔てられた香港島と九龍島を結ぶ交通は重要だった。現在、両岸を結ぶ公共フェリーとしては、チムサーチョイ(尖沙咀)とセントラル(中環)、ワンチャイ(湾仔)を運航するスターフェリー(星小輪)、ノースポイント(北角)とホンハム(紅磡)を運航するファーストフェリー(小渡輪)がある。

スターフェリーのルーツをたどると、1880年にさかのぼる。ペルシャ人が「カオルーン・フェリー・カンパニー」を設立し、1隻の蒸気船で運航をスタート。1898年に、その会社を九龍倉グループが買収し「スターフェリーカンパニー」を設立した。

1897年には中国のビジネスマンが設立した会社「ヤウマーティフェリー」が、ヤウマーティ(油麻地)と香港島を結ぶフェリーの運航を開始。海底トンネルが開通する前は、香港島への車の輸送も手がけ、成功を収めたといわれている。やがて、船のみだった両岸の交通手段に強力なライバルが出現。1972年以降に3つの海底トンネルが、1982年にホンハムとセントラルを結ぶMTRが開通。その影響を受け、また、埋め立てによる埠頭の消失により、廃止となったフェリー路線も多い。以前は、セントラルとモンコック(旺角)、サムスイポー(深水埗)等を結ぶ路線もあったという。ホンハムとワンチャイ、セントラルを結んでいたフェリーは利用客が少なくなり、運航を停止している。一方、香港島と九龍島をつなぐスターフリーは、手軽な料金で利用できることもあり、市民の足としてだけでなく、香港の景色が楽しめるプチクルーズとしても観光客の人気を集めている。

埋め立てで広大な土地を創出

香港の埋め立て工事の影響は100年余に及ぶ。沙田競馬場も、香港ディズニーランドも、コーズウェイベイ(銅鑼湾)のヴィクトリアパークも、九龍駅もすべて埋め立てで誕生した。埋め立て工事は、住宅地や工業地帯を創出し街の発展に貢献するとともに、環境にも大きな影響を与えてきた。1990年代半ばに入ると、「ヴィクトリアハーバーを守ろう」という環境保護活動が活発になる。また、埋め立ては船舶の運航にも支障をきたすように。2004年に港湾当局は埋め立てを規制すると発表している。

2013年の資料によると、ヴィクトリアハーバーの面積は41.17平方キロメートル。埋め立てにより、元水域面積の59%になっているという。香港の埋め立て工事はまだまだ進められている。セントラルにあるIFCも、海からどんどん離れていってしまうのでは、と憂う人たちも多い。

また、埋め立てとともに都市化による生活排水の影響により、1980年頃になると、ヴィクトリアハーバーは海水の汚染が深刻化してきた。しかし、この10年間の水質浄化の取り組みで汚染が改善され、2011年にはヴィクトリアハーバーを泳いで渡る水泳大会が33年ぶりに開催されている。

風水対策にコンベンションセンターを建設

中国に根づく伝統的な思想に「風水」がある。ヴィクトリアハーバーの海水は、間口が広い西端から間口が狭い東端へ、湾内をめぐってゆったり流れていく。つまり水がたまりやすい地形になっている。風水では水は「財」を表し、ヴィクトリアハーバーは、それを囲む地理的条件も合わせて、金融都市として繁栄する要素を備えているという。それが現在の香港の発展の一翼を担ってきたといわれている。しかし、大規模な埋め立て事業により、湾内の潮の流れがスムーズになってしまった。そこで、香港政府は、ワンチャイ(湾仔)にコンベンションセンターを建設。建物は守り神といわれる亀をモチーフにデザインし、潮の流れを遅くするために、埋め立てにより湾に突き出す形で設置したといわれている。

 

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