新界特集1・新界の歴史

2015/06/08

香港の郊外といわれる「新界」に行ってみよう!
ニュータウンとして開発され、急速に都市化が進んだ街も多いけれど、一本路地に入ると賑やかな下町の雰囲気が漂う。
少し足を伸ばせば、香港の山々に抱かれたハイキングコースやサイクリングコースが整備されている。
近年鉄道網も整備され以前より身近になった新界だけど、まだ知らないところがいっぱい、という方も多いのでは?
そこで、今回は、荃湾(チュンワン)、元朗(ユンロン)、沙田(シャーティン)などを始めとした新界の観光スポットや美味しいお店を紹介しよう。

新界香港の「田舎」からニュータウンへ変わりゆく「ニューテリトリー」

1999年のジャパンカップで、武豊騎乗のスペシャルウィークに続く2着に入り大穴馬券をたたき出した馬がいる。インディジェナス(Indigenous)という名の香港からの遠征馬だ。香港名は「原居民」。1997年前後の「返還景気」に沸く香港競馬界をライバル馬、オリエンタルエクスプレス、ヨハン・クライフとともに席巻し、その中でも絶大な人気を誇った。
そこから歴史を遡ること約150年、イギリス植民地となった当時の香港の人口は数千人。多くは海の民であり、漁民の村・香港仔(アバディーン)が香港のルーツとも言われている。20世紀前半、主に中国大陸からの移入者で香港の人口は爆発的に膨らむこととなるが、漁民とは別に香港の「原居民」は現在の「新界」地区に、客家(ハッガ)人を中心に点々と集落を形成し独自の文化を守ってきた。
原居民の土地である新界は、19世半ばの南京、北京両条約によってイギリスに割譲された香港島、九龍とは別に、「香港の防衛のため」という名目で1898年に99年間という期限付きで当時の清国政府からイギリスに租借、つまり貸し出された土地だ。この「展拓香港界址専条」の通り1997年7月に新界は香港島、九龍地区とともにイギリスから中国に返還された。
「香港の郊外」である新界は香港全体の約90%の面積を占め、そのほとんどが自然にあふれる丘陵地帯と農地となっている。まさに「田舎」のイメージが強い新界だが、1980年代以降、香港の新しいベッドタウンとしての急速な発展ぶりは目覚ましいものがあり、荃湾、沙田、屯門、元朗、天水圍など各エリアの高層住宅群を中心に、香港の全人口700万の約半分が新界地区に住んでいる。単純計算で人口密度は香港・九龍地区の9分の1となる。ちなみにPPWの20代香港人スタッフ6人のうち、5人が家族とともに新界地区に住んでいる。
開発が進むとはいえ、古い香港の面影を残すエリアや建造物も残る新界。香港・九龍のそれが主に英国植民地時代の色合いを強く残しているのに対し、新界各地区に見られるそれは「原居民」の暮らしぶりや文化・宗教など、古い香港の姿を今に伝えているものが多く興味深い。
ダイナミックに新旧の香港が入り交じる新界が今、あつい。

「田舎」のイメージが強い新界 新旧の香港が入り交じる新界 春巻

 

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