子育て・教育特集 Part 2

2021/06/23

Speakeasy 横井美佳さん

Q:カナダバンクーバーで旦那様とご結婚されて義理のご両親にご長女を見せに1991年に香港に来た時の当時の香港の印象はどうでしたか。カナダとの子育ての違いはありましたか?
 空気が悪く、あまり清潔とは言えませんでしたが、当時すでに24時間ATMを利用できていたので便利なところだと思いました。
 子育てについては、カナダでは親にも子供にも優しかったのですが、香港は別の優しさがあり、他人の子供でもいつも笑顔で見てくれて、いい意味でお節介をやいてくださる方がたくさんいましたし、とても親切でした。

Q:Speakeasyは語学教室の他にママと私の作戦会議と称したママのケアも行なっていますよね。どういった相談を受けるのか気になります。お話出来る範囲でお願いします。
 この作戦会議といいますのは、お母様と話し合い、ご協力をいただきながら、お子さんの学力向上を目指すのに、具体的にどういったことをするのか等を定期的に相談するものです。実際に集中力や読解力がない、クラスになじめないなどの相談があります。

Speakeasyの夏の合宿でフランスに。娘さん11歳、5歳

Speakeasyの夏の合宿でフランスに。娘さん11歳、5歳

Q:30年前の香港には日本人が通う語学教室はありましたか?
 大手の公文さん、こどもクラブさんはありましたが、個人のお教室は少なかったと思います。
 なので、とても珍しかったかもしれません。

 

 

 

 

香港で30年間子育てをしてきた横井さん

香港で30年間子育てをしてきた横井さん

Q:香港の子育てと、日本の子育ての違いはなんですか?
 人に頼るかそうでないかが大きな違いではないでしょうか。日本人は「こんなことで人に頼るのはちょっと。。。」だとか、育児本などを読みすぎて一人で抱え込んでしまう方が結構いらっしゃるように思います。
 香港の方たちは近くにいる人に頼っています。それは全然恥ずかしいことじゃないと思います。そして自分の子供だけではなく、みんなで子供を守り育てているような感じがします。

 

 

 

Q:先ほどの質問と関連した内容ですが。。香港のヘルパー制度についてどうお考えですか?
 大賛成です。義理の両親と一緒に住んでいたのですが、あまり負担をかけられませんでしたし、子供が小さい頃、ヘルパーさんがいてくれて大変助かりました。
 日本もヘルパーさん制度がもっと一般的になれば女性がもっと輝けるのではないかと思います。
 自分磨きの時間や、好きなことを探せるチャンスにもなりますね。

Q:香港の子育ての良い所、悪い所は?
 良い点は子供を預けることに寛大なところでしょうか。夫婦やママ友とお出かけするときは子供を連れて行かないですし、オンとオフがはっきりしています。それに、子供同士を遊ばせる時はヘルパーさんも一緒に行くのでお母様もストレスなく過ごせます。
 悪い点はヘルパーさん任せの方も多いので子供の食事の面で栄養バランスにあまり気を付けられていない事でしょうか。

お忙しいご主人様との楽しいひと時

お忙しいご主人様との楽しいひと時

Q:香港人のダンナ様のイクメン度を教えてください。
 子供が小さい頃からずっと忙しくて休みの日が殆どない日常でしたが、家事をするのは当たり前とい
う家庭で育ってきたせいか、嫌な顔をせずに、何でも手伝ってくれます。たまの休みでも家事をやってくれたり、できることを自分で見つけてやってくれます。イクメン度は80%です。残りの20%は何でもやり過ぎてしまうところです。笑

 国際結婚をされた日本人の男性に何組かでお話しする機会がありました。皆さん、レディーファーストを徹底されており、とても家族に協力的でしたので、ちょっと聞いてみました。「もし日本人の奥様と結婚されていたら、同じようにしていらしたと思いますか。」と。なんと答えはNO!遠慮がちに答えてはいらっしゃいましたが、日本人女
性を何だと思っていらっしゃったのでしょうね。笑 

 

 

本格的な香港のハロウィン

本格的な香港のハロウィン

Q:ここで初公開。お嬢様達のお話を聞いてみたいと思います。お嬢様達の言語の比率は?
 家の中では広東語、英語、日本語です。やはり広東語が話しやすいのですが、夫とその兄弟とは広東語、私とは関西弁、家族の時は英語で会話しています。

Q:通っていた学校は?
 幼稚園からローカル校です。大学も香港内の学校でした。香港の学校はとても競争が激しいです。ひやひやすることもありましたが、大学までいけることが出来ました。長女は建築系で次女は医療系です。いまも家族一緒に暮らしています。

Q:娘さん達が小さい頃の仕事がある日のルーティーンを教えてください。
4時30分・・・・・・・・・・・・・・・・起床してお弁当作り
6時30分・・・・・・・・・・・・・・・・娘たちと朝食
7時15分・・・・・・・・・・・・・・・・家を出る、仕事場へ
18時30分・・・・・・・・・・・・・・・帰宅
19時00分・・・・・・・・・・・・・・・夕食と子供の宿題
20時30分・・・・・・・・・・・・・・・お風呂→寝かしつけ→本読み
22時30分~23時00分・・・・就寝

子育てまっさい中の横井さんと長女さん

子育てまっさい中の横井さんと長女さん

Q:香港の教育事情はどうですか?
 大変良いと思います。小さいうちから広東語、英語を勉強して誰もが話せますし、トリリンガルも珍しくありません。
グローバルな環境なので将来の視野は世界基準でみれます。

Q:最後になりましたが、香港在住日本人の奥様達にメッセージをお願いします。
 日本と比較をし過ぎず、香港での生活を楽しんでほしいです。せっかく香港にいるのですから、ここでしかできないことも含め、素敵な思い出を作ってくださいね。

 

 

横井美佳横井美佳さん
1991年に来港。義理の両親に子供を見せに行くという気軽な気持ちできましたが、そのまま暮らしています。前身ともいうべきPop’n Club(幼児英語教室)で働き、2001年にイギリス人のパートナーの女性とSpeakeasyを立ちあげる。「子供は遊びの天才!」というキャッチフレーズの精神を受け継ぎ、現在に至る。

Speakeasy
住所:1301, Fortune Centre, 44-48 Yun Ping Rd., CWB
電話:(852)9511-7031
メール:mika.speakeasy.hk@gmail.com
ブログ:ameblo.jp/speakeasy-hk
インスタグラム:@mika.yokoi.739

 

 


 

P16-17 Children Bearing Education 731

 

運命に翻弄され、香港へ。
ジャッキー・チェン氏のアシスタントとしてやってきて、早30年
ジャッキーと、パリの凱旋門前で

ジャッキーと、パリの凱旋門前で

 香港の某外食チェーンで、アシスタントマネージャーをしている矢萩寿実子さん。彼女は、なんと!ジャッキー・チェン氏の元アシスタントだというから驚きだ。しかし、なぜ、彼のアシスタントになったのだろうか。そして、香港にやってきた経緯、ご家族のことを聞いてみた。

矢萩さん:ひょんなことからジャッキーのファンクラブを手伝ってもらえないかと誘われ、7年目くらいで香港で行なわれるファンクラブパーティーの準備をしていたら、「今回は荷物をまとめて来てね!日本に戻れないから!」と言われ、その言葉どおり、香港事務所のスタッフと交換するかたちで香港にやってきました。それが1991年12月なので、もう30年近く香港にいることになりますね。当時は広東語も話せなかったのに、会社はその後私にジャッキーのアシスタントになるように命じました。

 家族構成は、香港人の主人と、今年20歳を迎える娘が1人。主人も映画映像関係の仕事をしています。妊娠したのは30代後半。高齢出産ということもあり、日本で出産しました。これが、後々いろんな問題を引き起こすことになるのですが…

 

我が家は「多言語教育」。
頭の中に入っているものは誰にも奪うことはできない

 里帰り出産をして、娘さんが生後2ヵ月のときに香港に戻ってきたという矢萩さん。産後もジャッキー・チェン氏のアシスタントを続けたため、事務所に娘さんを連れていって、仕事をしていたこともあるのだそう。「香港は子どもに寛容な人が多いので助かりました」と話してくれた。そんな矢萩さんが感じる、香港での子育てのメリットとは?

矢萩さん:香港の子育てのメリットといえば、この2つではないでしょうか。

 「ヘルパー制度」と「語学」!

 ヘルパーに関しては、我が家も、娘が生まれてから中学1年生まで雇っていました。そのおかげで、海外での仕事の多いジャッキーについて、アシスタント業務をこなせました。
 そして、語学が最大の魅力だと思いますね!それぞれの学校にもよりますが、基本的には、公立・私立校では、広東語・普通語・英語の3ヵ国語、インター校でも、普通語・英語の2ヵ国語で授業が行なわれます。我が家では、娘に対して、義母が普通語、夫が広東語、ヘルパーが英語、私が日本語で話しかけてきたので、今では4ヵ国語を話します。金品は失ってしまうこともあるけれど、頭の中に入っているものは誰にも奪うことはできないですから。これは、娘の財産になっていると思っています。

 デメリットはあまり感じませんが、敢えて言うなら、働きやすい環境なだけあって、子どもと過ごす時間が少なくなってしまうことでしょうか。娘が生まれた後、初の海外撮影に出て2ヵ月半ぶりに家に帰ったときには、1歳の娘から「パパ」と呼ばれました。幼ながらに、一緒にいてくれない私に対して必死の抵抗をしていたのだと思います。当時は、今のように気軽に国際電話もできなかったですし、テレビ電話もありませんでしたから。
 映画『80デイズ』(2004年公開)の撮影のときは、結局、8ヵ月もの間、娘(当時2歳半)とは会えず終いでした。というのも、撮影が始まったのが2003年で、ちょうどSARSが大流行した時期。3月にプーケットで1ヵ月ほど撮影をして、一度香港に戻り、再度ベルリンに向かう予定でした。ところが、SARSの発生でプロダクションが香港に戻してくれず、そのままスタッフ全員チャーター機でベルリンへ向かうことになったのです。運よく主人が日本で仕事が入ったので、娘を私の両親に預けてもらい、しばらくの間面倒を見てもらいました。SARSが終息して、やっと会えましたね。

 他には、日本人にとって、情報が掴みにくいのもデメリットですかね。私は、プレスクールがあるのも知りませんでしたから。だから、娘はプレには行っていません。

 

一貫してローカル校へ。
学校でも、徹底した「多言語教育」

 香港には、ローカル校、日本人学校、インターナショナルスクールなど様々な選択肢があるが、矢萩さんは一貫してローカル校を選んだと話す。その理由とは何だったのだろうか。

矢萩さん:幼稚園からローカル校へ通わせていました。今、娘は、「香港理工大学(The Hong Kong Polytechnic University)」に通っています。一貫してローカル校を選んだ理由は2つ。1つは、多言語習得が可能なこと。もう1つは、学費が安いことです(笑)他にも習い事にお金がかかりますからね。

 多言語教育といっても、家庭の中だけでは限界があります。だから、学校でもいろんな言葉に触れさせたかった。特に中国語は難しいですから、話すだけでなく、読み書きまでちゃんとできるように、小学校までは中国語中心の教育がしたかったんです。英語は簡単ですから、少し後回しにしてもすぐに身につきます。私は、この選択をして本当によかったと思っています。

 

諦めずに「叩門」を!
現地校受験で味わった数々の苦労から見えてきたこと
幼稚園(5歳)のときの宿題

幼稚園(5歳)のときの宿題

 香港で生まれ育ったわけではないため、現地の進学受験事情に関して全くの無知だったという矢萩さん。言語もできたわけではない。しかも、香港人であるご主人も仕事柄家を空けることが多く、何も事前情報がない中で手探りで進んできたそうで、娘さんの学校に関しては苦労だらけだったと話す。「幼稚園、小学校、中学校と進学の度に、寿命が縮まる思いでした」と前置きした上で、幼稚園受験から中学受験までを順番に話してくれた。

矢萩さん:娘が2歳半になったとき、同僚が教えてくれて、香港の全幼稚園がまとめられているブックがあると知り、それを片手に片っ端から受験するところをピックアップしました。幼稚園を選ぶ基準は、やはり多言語教育をしていることと、評判がよいこと。あとは、数打ちゃ当たる方式でとにかくたくさん受験させました。2歳半なんてみんな同じだって思ってましたから。「幼稚園でしょ、所詮…」と甘く見ていましたね。

 でも、香港の幼稚園って、面接で結構高度なことを要求するんです。九龍塘(カオルーントン)にある有名な幼稚園「根徳園幼稚園(Kentvill Kindergarten)」を受験させたときのこと。順番が回ってくる直前に知ったのですが、この幼稚園は、面接官の前で歌を歌わせることで有名だったんです。そんなことつゆ知らず、何も準備をしていなかったので、面接中は常に冷や汗をかきながら娘を見守っていました。

 まず、「What is your name?」と英語で名前を聞かれます。娘は、日本語でいつも呼ばれてる「○○ちゃん」と言っているのですが、ちょうど主人の苗字が「チャン(Chan)」なので、面接官がそれと聞き間違えてくれて何とかクリア(笑) その後、スイミングをしている絵を見せられて、「What are they doing?」と聞かれました。娘は、これまた日本語で「スイスーイ、スイスーイ」と表現。でも、これがまた面接官には「Swimming」と聞こえたようで、ひょっとするとひょっとするかも!?と期待まじりで眺めていました(笑) ところが、「Let’s sing!」と言われた途端、黙ってしまう…もちろん娘も普段は歌を歌いましたが、さすがに見ず知らずの面接官の前でいきなり歌うというのはハードルが高かったようで、この幼稚園には落ちてしまいました。

 別の幼稚園では、赤青黄色のボールとボックスが用意されていて、「赤いボールを青いボックスに入れましょう」など、そんなの2歳半の子にできるの!?というようなことが求められました。普通、赤いボールは赤いボックスに入れてしまいますよね。香港の幼稚園って、こんなに難しいの!?って驚きましたね。

Photo04 受かった何園かの中から最終的に選んだのは、跑馬地(ハッピーバレー)の「玫瑰崗幼稚園(Rosaryhill Kindergarten)」でした。その当時、九龍側に住んでいたのですが、わざわざ香港島まで通っていたんです。この幼稚園のよかったところは、多言語教育の教育はもちろん、園の雰囲気、穏やかな先生たち、それと、夕方まで面倒を見てくれるところでした。特に、年中長さんなどと一緒にお昼寝もあり、お兄さんお姉さんにいろんなことを教わって、ものすごく成長したのを覚えています。

 ただ、結局、毎日通うのが大変になって、友人のすすめもあり、跑馬地に引っ越すことにしました。そのときの不動産屋さんから、「この家からなら歩いても通えるし、天主教聖瑪加利大幼稚園に変えなさい。知り合いがいるから聞いてあげる」と言われて、トントン拍子に「天主教聖瑪加利大幼稚園(St. Margaret Mary’s Catholic Kindergarten)」に転園することになったんです。この幼稚園が本当によかった!後で聞いたら、かなり評判のよい幼稚園で、面接となるとものすごい高倍率なんだそう。それと、なかなか娘と一緒に過ごす時間をとれなかった私にとって、毎朝歩いての登園は、とても貴重な娘との大事な時間となりました。この幼稚園に転園したことで、私たち親子の運命が変わります。

 これはとても大事なことなのですが、日本の幼稚園との違いは、香港では幼稚園も学習教育なんです。日本の義務教育は小学生からですが、香港は幼稚園に入っていないと小学校へ上がれません。そこが大きな違いです。それとカソリックの学校は、特にその信仰がなくても学校へ通うことはできるので安心してください。

 

 卒園が迫ってくると、今度は小学校進学。周りから「瑪利曼小學(Marymount Primary School)」をすすめられたが、ここは英語で教育する学校だったため、矢萩さんの小学校までは中国語中心という方針と合わず、最終的に「嘉諾撒聖心學校(Sacred Heart Canossian School)」を選びます。この小学校には公立と私立があり、公立を選んで、いざ願書提出。しかし、ここで事件が起こる。その事件とは一体!?そして、矢萩さんが主張する「叩門」とは、一体何のことだろうか。

矢萩さん:「嘉諾撒聖心學校」の願書には、中国語と英語で娘の名前を書きました。学校側から「中国語名の証明を提出してください」と言われたときに、初めて彼女の中国語名を証明する公的な書類が何もないことに気づいたんです。日本のパスポートは英語名のみ、「Chan」であることは別併記していたんですが、漢字ではなかったため使えず…そうなると、英語名で受験することになる。その当時すでに永住権を持っていた娘ですが、香港IDは持っていなかったため、外国人枠での受験になってしまうのだと思いました。
 だから、どうしても中国語名での証明が欲しかったので、娘にも香港IDをと思い役所に行ったのですが、「12歳になったら」と言われて、何度足を運んだかわかりません。こういうときに香港での「出生証明書」さえあれば、何の問題もなかったんです(ちなみに、出生証明書と香港IDは同じ番号です)。日本で出産したばっかりに、このような事態になってしまいました。なので、もし香港で子育てをしていくと決めているのであれば、こちらで出産することを強くおすすめします!

 どうにもこうにも証明書は手に入らず、案の定、そんな学校書いたっけ!?と身に覚えもないような第十何希望くらいに書いた学校に振り分けられました。途方に暮れていた私を見て、幼稚園の園長先生が声をかけてくれました。当時の園長先生は何かと気をかけてくださる先生で、「私が聞いてあげるわね」って言ってくださったんです。次の日に園長先生が、「嘉諾撒聖心學校」の校長に連絡したら、「ああ、あの日本人ね。日本人は日本人小学校へ行くでしょ?」って言うから、「違うわよ、嘉諾撒聖心學校に入りたいから願書を提出してるんじゃない!と伝えたから大丈夫よ」って。そのとき、私にはその意味がよくわからず、言われたとおりにしたら、入れたと連絡があったんです。このとき初めて「叩門(カウムン)」という言葉を知りました(笑) 「叩門」とは、その学校に直接問い合わせてみることです。もし進学受験で希望の学校に落ちてしまっても、諦めずに根気強く連絡してみてください。絶対に「叩門」はした方がいいです!

 中学受験になると学力の差も出てきますが、小学校進学の時期はその差は顕著ではありません。だから、学校側も、学力が高いかどうかよりも、学校のことをどれだけ愛してくれているかを見ていますし、よりその思いの強い生徒を受け入れたいと思っているはずです。だから、恥など捨てて、毎日電話をすることが大切です。受験でダメだったとしても、熱意が伝われば、入学させてもらえる可能性が高いです!何でも言ってみる、言ってみてダメだったらしょうがない精神の香港ですから(笑)

 

 かなり苦労の多かった小学校進学。その教訓を活かし臨んだ中学校受験だが、それでもまたあらゆる問題との戦いだったと話す矢萩さん。

矢萩さん:中学からは英語で教育する学校を選び、第一希望で「嘉諾撒聖心書院(Sacred Heart Canossian College)」(* 中学からは英語で授業をする学校です)と、第二希望で「瑪利曼中學(Marymount Secondary School)」を受験しました。系列の「嘉諾撒聖心學校」に通っている実績もあるし、成績も問題ないし、香港IDもあることだし、みんなから大丈夫と言われていたのに、なんと!落ちてしまうんですねぇ。

 実は、娘の香港IDは、香港生まれの子たちとアルファベット番号が違うんです。だから、番号を見れば一目瞭然外国人なわけで、結局、中学校も引き続き外国人枠で受験することになってしまったんです。外国人枠というのが、非常ーーーに狭き門なんですね…(涙) ここでも「出生証明書」さえあればという悔しさを身に染みて感じました。
 また小学校のときと同じで、第十何希望あたりに書いた学校(Band 2)に振り分けられます。まさかそんなことになるとは夢にも思っていなかったので、私立を受験させることもしておらず、このときばかりはしばらく食事が喉を通らないほど途方に暮れました。

 最終的にどうしたのかというと、ここでも「叩門」なんです!

 小学校の校長先生が「これはおかしい」と、「嘉諾撒聖心書院」宛に直筆の手紙を書いてくださったんです。「嘉諾撒聖心書院」は直接の「叩門」を受け付けないので、小学校へ「叩門」の書類を提出し、自分たちでも他校へ「叩門」をしました。「叩門」は締め切られていますと言われても、諦めず他の学校へ向かおうと思い、タクシーに乗り込んだときに「嘉諾撒聖心書院」から電話がかかってきて、こんなやり取りをしたんです。

聖心:学校は決まりましたか?
私:いいえ、まだです…
聖心:まだうちへ来たいと思っていますか?
私:もちろんです!
聖心:では、今日の13:00面接に来られますか?
私:はい、伺います!

 そのときすでに11:00。すぐに方向転換して、一度自宅へ戻り、急いで準備をして「嘉諾撒聖心書院」へ向かいました。娘と同じように呼び出された子たちが20名ほどいたと思います。1人ずつ校長先生と面接をして、その場では特に結果は伝えられず戻ってきました。この日が公立中学校の入学申込みの期日最終日。さぁ、どうしようと、不本意ながらも振り分けられた学校へ行って入学手続きを行なっている途中で、また電話が鳴ったんです。「嘉諾撒聖心書院」からでした。「入学を許可します」との声に、一気に全身の力が抜ける思いでしたね。この日が金曜日、週明けの月曜日から学校のオリエンテーションが始まったので、それまでに手続きをして制服を作って、本当にドタバタでした。私たち親も冷や冷やですが、娘のプレッシャーもすごかったと思います(涙)

 

 娘さんの受験の度に気を揉むことが多かった矢萩さんだが、どんなところに現地校のよさを感じたのか。

矢萩さん:これは香港の現地校全てに当てはまるわけではないと思いますが、娘の行った学校はサポートが手厚かったですね。小学校1年生のとき、家庭で4ヵ国語を同時に話していることもあって、言葉が出るのが遅かった娘に対して、学校が特別に他所から専門の先生を呼んでマンツーマンで広東語を習わせてくれました。週1回でしたが、1時間早く学校へ行って、先生と一緒に広東語の勉強をしていました。公立も捨てたもんじゃないなと思いましたね。

 私はたくさんの人に助けていただきました。1人では決してできないことでしたから、先生方や友人たちには本当に感謝しています。進学受験は大変でしたが、みなさんのおかげで、希望の学校に進んでいくことができましたので。人間最後は言葉がわからなくとも、絶対に気持ちは通じるものだと思いました。

 

全て自己責任で!
子どもの教育ではフォローに徹する

Photo 今、矢萩さんの娘さんは、「香港理工大学」に通っている。「香港理工大学」といえば、世界大学ランキングでトップ100に入る有名な大学である。香港内の大学に入るというだけでも至難の業だ。矢萩さんは、親として、どのように娘さんの学業のサポートしてきたのだろうか。お子さんの教育で心掛けていることを聞いてみた。

矢萩さん:トンビはトンビなんで(笑)、フォローに徹するですかね。
 実は、小学校2年生に上がるときの成績表に「試升(シーセン)」と書かれていたんです。「試升」とは、「仮進級」という意味。香港は、普通に小学生から留年がありますから。娘もギリギリ2年生に上がれたということです。それをきっかけに塾に通わせることにして、小学生の間はずっと塾に行っていました。ただ、中学校に入るときに、娘から「1つお願いがある」と言われました。それは、「もう塾には通いたくない」ということ。勉強しなければ留年することも理解しているし、娘の気持ちもあるし、「成績を保てるんだったらいいよ」ということで、塾は辞めさせることにしました。何もトップを目指せ!と思っているわけではない。ダブらずに卒業してくれさえすればいいと思っていましたから、あとは娘の自己責任で、「宿題はやっていきなさいよ」くらいで、何も口出ししませんでした。

 嫌々勉強するってことだけはして欲しくなかったので、「塾に行きたくない」と言えば、休ませていました。甘やかすというよりは、娘自身も子どものうちから、勉強しなければ進級できないことはわかっていましたから、「塾は休んでもいいけど、その代わり自分で勉強するんだよ」というかんじで。「ママがこう言ったから、こうしたのに」と後で言われても困るじゃないですか。だから、自己責任です!小学校までは、親が塾を探したりしましたが、中学校以降は「塾に通いたいかどうか」「通いたいならどこの塾がいいか」も周りに相談したりしながら、自分で決めていましたよ。

 

香港で子育てをする人たちに伝えたいこと
香港の「健康院」でもらえる母子手帳(女子はピンクで、男子はブルー)。 予防接種などのスケジュールは全てこちらに記載されているため、それに従えば大丈夫! 日本と違い、これを高校卒業まで使う!

香港の「健康院」でもらえる母子手帳(女子はピンクで、男子はブルー)。予防接種などのスケジュールは全てこちらに記載されているため、それに従えば大丈夫!
日本と違い、これを高校卒業まで使う!

 最後に、今まさに香港で子育てをしている、そして、これから香港で子育てをする予定の皆様に向けたメッセージをもらった。

矢萩さん:何度も言いますが、現地校に通わせる可能性があるのなら、香港で出産した方が断然有利です!

 それと、謙遜しがちな国民性からかわかりませんが、日本人は自分の子どものよいところをアピールするのが苦手ですよね。でも、こちらでは自分の子どもの推薦文を書いたり、成績表や賞状などをファイリングしてすぐに提出できるようにしておくのは重要です。「叩門」には、この書類がとっても重要ですから!これは大学受験まで続きますので、ぜひぜひ早めから始めてください。

学校や習い事でもらった成績表や賞状などは全てファイリングしておこう

学校や習い事でもらった成績表や賞状などは全てファイリングしておこう

 現地校の言語教育は本当によかったと思います。4ヵ国語話せることは、娘の武器になっていると感じます。ただし、ローカル校は宿題や勉強が大変!娘は元々、周りが100点を取ってている中、自分が97点でも満足してしまう性格だったので、割と問題はなかったのですが、プレッシャーに負けてしまう子どもたちも多いので、そういった気持ちのフォローも必要になってくる可能性はあります。

 今は、ネットで情報が取れる時代。広東語や英語だとしても、Google翻訳などを使って調べてみると、ほとんどの情報は入ってきます。「親子王國(www.baby-kingdom.com)」などのウェブサイトには、学校の口コミなども載っていますので、ぜひ活用してみてください。

 

 「事前に知っていれば、きっともっと楽だったのに?!」そんなふうに感じることが数えきれないほどありました。ですので、私のこの濃ゆーーーい経験が誰かのお役に立てましたら幸いです。

 

 

 

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