僕の香妻交際日記 第62回 もし、香港人の社会の窓が開いていたら

2021/06/09

P16 HK Wife_727

 

 

広東語に火車沒到站(フォーチェーメイドウジャン)という言葉がある。

「列車はまだ到着していない」という意味だ。一見、なんてことはないフレーズだが、香港の日常生活では時々この言葉が男性に対して向けられることがある。

 

物語はある晴れた日のランチから始まる。

そもそも私のランチの予算は年々縮小傾向にあり、2021年5月時点でその額は20HKD(約281円)にまで落ち込んだ。香港在住の方ならご存知の通り、香港のオフィス街で20HKDでランチを食べようとするのは至難の技である。

 この予算で炭水化物を摂りたいと思ったらカップラーメンを除いてはパサパサのおにぎりか冷えたサンドイッチ、もしくはコンビニのレジで印尼麵(インドネシアヌードル)を頼むしかない。

 3歳になる娘にはとてもではないが見せられない何とも寂しいパパのランチだ。

 

 それでも、「家族に三度の飯を食わせるために俺は三度の飯を食わない」のが香港で働くお父さんたちの合言葉なので、贅沢は言っていられない。

 その日もこの合言葉を胸にランチへ臨もうとしたわけだが、少しは開拓もしなければとオフィスビルを出ていつもとは反対方向に歩みを取ることにした。すると、まもなく周囲を工業ビルに囲まれた一角に行列のできるお店を見つけた。メニューを見てみると、いわゆる車仔麺(チェージャイミン)のお店のようだった。

 車仔麺屋では麺の種類から具材まで自分で自由に選択することができるので、予算や好みに合わせて自分だけの車仔麺を頼むことができる。

 そんな香港B級グルメの雄、車仔麺のお店がオフィス街のど真ん中にあるとは知らなかったので、私も行列に加わることにした。

 私のチョイスは幼麺(細ちぢれめん)、もやし、大根、そして巨大しいたけ。これでちょうど20HKD。予算に限りがあるため肉っけなしの超草食系メニューだがこれに入れ放題のガーリックチップとみじん切りネギを山盛りにしてみると、なんとなく角ふじの野菜増しラーメン風になるではないか。

 何よりも20HKDランチの最大の課題であった野菜不足をこの麺で解消できることに私は甚く(いたく)感動し、スープの残り一滴、ガーリックチップのカスまであっという間に平らげた。

 食べ終えてみるとコンビニ飯に慣れていた私の胃袋には少々ボリューミーではあったが、それでも久々の満腹感と新しい行きつけの店ができた喜びに満たされながらオフィスへと戻った。

 

 胃も心も興奮冷めやらないまま、いざ仕事でもするかとパソコンのディスプレイに集中しようとすると、なんだかやけに集中力散漫な自分に気がついた。そして、気がついたら額からアーネストホースト級の玉汗が噴き出していた。まあ香港の5月と言えば夏も同然だからとあまり気にせず汗が引くのを待っていたのだが、それでもなかなか汗は止まらなかった。それどころか、今度は頭がクラクラしてきて、吐きたいのかう〇こをしたいのかよく分からないような気持ちの悪さを感じ始めた。そのころにはこの玉汗はアーネストホーストが3度目のK-1王者に輝いた時のような清々しいものではなく、例えるなら清原和博が語っていた薬物の禁断症状により「真冬でも汗が止まらなかった」というそれによく似ているものだと確信した。自分の身体にも何か悪いものが入り込んだか…とクーラーフル稼働中のオフィスで一人汗だくになりながら天井を仰いだり机に伏したりを繰り返し、それでも妙な吐き気や便意が止まらないのでズボンのベルトをはずし、チャックも全開にしてなるべくお腹に負担がかからないよう身体をまっすぐにのけぞるのようにして椅子に座り、やがて力尽きた自分がそこにはいた。

 汗だくでチャック全開で椅子にのけぞって座っている日本人を同僚たちはどう思うだろうか…あ、ボスから何かワッツアップが送られてきた…いや、そんな周りのことはどうでもよかった。

 その時はとにかく「生きろ、そなたは美しい」とアシタカがサンを励ましたように、「生きろ」と自らを鼓舞し続けた。

 結局、約2時間に及ぶ格闘の末、ようやく瀕死の状態から蘇った私は、チャックを戻し、ベルトを締め、ゆっくりと状態を起こした。時刻は午後4時、窓から差し込む西日が眩しかった…

 

 さて、以上の物語を読んで、皆さんは私のフォーチェーがメイドウジャンだった瞬間がお分かりだろうか?

 正解はチャック。日本では「社会の窓」と形容されるチャックだが、香港では列車に例えられて、チャックが閉まっていないことを火車沒到站と言うのである。

 

 香港で、目の前の男性の社会の窓が開いていたら是非「ムゴイ、フォーチェーメイドージャン…」とつぶやいてみてほしい。この一言であなたは一躍人気者になること、間違いない。


ルーシー龍ルーシー龍(りゅう)

東京都出身。香港歴7年。元日本語講師。元学習塾塾長。現在香港企業窓際マネージャー。柔道三段。妻は香港人。娘はハーフ。猫は香港仔出身。愛読書は武士道。

 

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