【五輪トリビア】嘘みたいな真実の話

2024/07/17

パリで消えた謎の最年少金メダリスト
1900年に開催されたパリ大会で起こった珍事。ボート競技で、アクシデントにより急きょ舵手を交代しなければならなくなったオランダチームは、近くにいたフランス人少年を代役にして出場することに。この即席チームが、なんと金メダルを獲得したのだ。表彰式の写真には確かに10歳前後の男児が写っているが、その後、彼はいつの間にか姿を消していたという。それから数年にわたり捜索が行われたが、結局見つからず…。120年以上経った今も、行方しれずのままだ。

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ゴールまで54年! 日本初の五輪ランナー
日本初の五輪出場者、マラソンの金栗四三選手。2019年のNHKドラマ「いだてん」でも取り上げられたことから、ご存じの方もいるだろう。彼の五輪マラソン記録は、なんと54年8カ月6日5時間32分20秒3。なぜこのような驚異的な記録となったのだろうか。
1912年、酷暑のストックホルム大会で、レース中盤に意識を失った金栗選手。村人に助けられ翌日には目を覚ましたものの、すでに主催者には行方不明として届けられていた。それから半世紀後、記念式典に招待された彼は、ついにゴールテープを切ることに。54年という、この歴史的記録が生まれた。

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期待の低さゆえ…まさかの日本初表彰式
1928年のアムステルダム五輪では、男子三段跳びの織田幹夫選手が、日本人初となる金メダルを獲得。誰も予想していなかった結果に日本中が沸いたが、表彰式でまさかの悲劇が起こった。
織田選手が表彰台に上り、日本国旗が上がっていく。しかし掲げられた旗は、他国の国旗の4倍はある超特大級。さらには、国歌演奏が途中から始まるというアクシデントまで発生した。実は、運営側も日本がメダルを獲得できるとは考えてもいなかったため、これらの準備を怠っていたのだ。今では世界的アスリートを多数輩出している日本だが、当時の注目度の低さが伺える。

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奥運駅はオリンピックと無関係ってホント…!?
東涌線オリンピック(奥運)駅。構内の至るところに、五輪を連想させる壁画が見受けられる。開業前は、この駅の所在地から「タイコックツイ(大角咀)」の名称が有力だったというが、さて、なぜこの名前が付けられたのだろうか。
その理由は、1996年のアトランタ五輪にある。長州島出身のウインドサーフィン選手、リー・ライシャン(李麗珊)が、香港で初めて、金メダリストとなったのだ。歓喜の渦に包まれた香港は、その勢いで、まだ名前が確定していなかった新駅をオリンピックと名付けた。よってこの地は特に五輪とは関係がない。

© Auyansang Fundz 200020 (Licensed under CC BY 4.0)

© Auyansang Fundz 200020 (Licensed under CC BY 4.0)

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