【最終回】「武士道を体現した優しき豪傑、岩見館長」コラム:2分で読める武士道

2024/01/03

2分で読める武士道
世界中で注目されている日本人特有の性格や行動の数々。
それらの由来は武士道精神にあった。
しかし、肝心の日本人にその武士道精神が浸透していないのが日本の現状である。

筆者が外国生活を通して感じた日本人の違和感を「武士道」や「葉隠」などの武士道関連文献をもとに紐解いていく。

 

 

 

 

 最終回 武士道を体現した優しき豪傑、岩見館長 

1960年、高度経済成長真っ只中の日本。故郷岩手からレスリングで鍛え抜かれたその体一つで上京し、昼間は詰襟の制服に下駄を履いて早稲田大学で勉学に勤しみ、夜は工事現場でのアルバイトに励んでいた岩見青年は、ある夜バイト先の現場を通りがかったアメリカ人に向かって誰に言われるでもなく大きな声で挨拶をした。

グッド イブニング!

当時の日本で英語を話せる日本人は想像するにそれほど多くなく、ましてや通りがかりの外国人に自ら英語で挨拶をできる日本人といったらさぞ珍しかったに違いない。とは言え、まさかその一言がキッカケで後に中曽根康弘元首相との邂逅を得られるとは、豪傑肌の岩見青年も夢にも思わなかっただろう。

時は流れ、2022年1月28日。香港柔道館の創立者である岩見武夫館長が85歳で亡くなられた。香港政府によるコロナ蔓延防止措置により道場が一時閉鎖になっていたこともあり、道場のメンバーたちにとってもそれはそれは本当に突然の訃報であった。

岩見館長は道場のオーナーでありながら、会社の経営者でもあり、その数ある功績と肩書だけでも歴史の教科書に載るレベルのすごさなのだが、館長の本当の凄さはその人徳にあったことは館長を知る人なら皆、そう口をそろえるに違いない。
そこで本シリーズ最終回の今回は、武士道をまさにその体一つで体現してこられた岩見館長からいただいたいくつかの金言を紹介したいと思う。

私の時代は「男児志を立てて郷関(きょうかん)を出(い)ず」だった。やるなら最後までやる。できないと思うなら今すぐ日本に帰りなさい。

私が香港に来て3年くらい経ったころ、香港での先行きが不安になり日本に戻って働いたほうがいいかどうかの相談を館長にした時にいただいた言葉である。男がひとたび志を立てて故郷を出たからには、夢が叶うまでは死んでも故郷に帰らないつもりでいるべきだという叱咤激励をいただき、改めて香港で生きていくことを決意した。S__19431429

友のためには涙を流す。家族のためには汗を流す。
館長はとにかく人を大事にされていた。特に家族に対する想いは強く、好きなこと(道場運営)をする前にまずは生活を成り立たせなければいけない、それが一家の長としての責任であるということをいつもおっしゃっていた。

自分の人生は自ら切り開いて行く以外はないのだ。自身が持っている能力を十分に発揮して出来る世界は必ずある筈である。
香港人の妻との間に娘が生まれ、ワークライフバランスのことを考えて香港で初めての転職を考えていた時にも、自分を信じなさいと励ましの言葉を掛けてくれた。

また2021年2月、岩見館長の85歳の誕生日会に杖をつきながら会場に足を運んでくれた館長は静かに力強くこうおっしゃられた。

ご周知のように世界で一番家賃の高い香港でも、断トツのそごう高層部に位置する道場の維持管理は真に大変です。ですが、自分の生きて居る限り継続してゆく所存です。

25歳で香港の地に足を踏み入れ、29歳で香港柔道館を開館して以来、館長の志は一寸もぶれることがなかった。「グッド イブニング!」から始まった岩見青年の物語はその後60年にわたって香港の柔道界、日本人ビジネス界に数々の功績と伝説を残したまま、最終章も故郷岩手ではなくここ香港で静かに幕を閉じた。

晩年、外出するときは杖が手放せず、本当は身体のあちこちが痛かったはずなのに、それでも私が道場に顔を出すたびに「いや~来てくれてありがとう。今度のマスターズに向けてちょっと新しい技を考えたんだが受けてくれないか?」と畳の上では杖に頼ることも、椅子に座ることもなく、自らの足でもって堂々と胸を張って立ち振る舞うことを最後まで止めなかった。館長と組み合った日々、新入部員の中学生のように一生懸命技の練習をする姿勢、そして新しい技が上手く掛かったときのあの笑顔は一生忘れることはない。

岩見館長が旅立たれて早2年。館長のことだから、おそらく向こうの世界でも道場を作ってよりいっそう新しい技の練習に精を出していることに違いない。何せもう家賃のことを気にする必要はないのだ。
日本男児として、親として、そして香港柔道界の父として最後の最後まで責務を全うした優しき豪傑「岩見武夫」の名前は香港の地に永遠に刻まれ、その魂は世界各国から柔道館を訪れた教え子たちによって今後も世界中で受け継がれていく。館長が60年かけて一人で築き上げたものを、次の60年でも守り発展させていくことが私たちにできるせめてもの恩返しというものだろう。

岩見館長、香港では大変お世話になりました。またそちらでお会いした際には是非稽古つけてください。私もまた体と心を鍛えなおしておきます。本当にありがとうございました!


筆者プロフィール
宮坂 龍一(みやさか りゅういち)
東京都出身。暁星高校、筑波大学体育学群卒業。
香港の会社、人事、芸能、恋愛事情にうるさい。

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