花樣方言 普通話と北京語の発音の違い

2014/12/30

Vol.59<普通話の話>

ねずみのイラスト

「京」という字は、「東京」「京都」と言うときは「きょう」と読みますが、「京浜」「京阪神」と言うときには「けい」と読みます。看護師の着る「白衣」は「はくい」ですが、「びゃくえ」と読むと霊場巡りのお遍路さんの着る白装束になります。このように日本語の漢字の音読には大まかに2系統があるのですが、中国語にも実は2種類の読み方があります。

普通話で「角」は、「つの」とか「かど」の意味ではjiǎoですが、芝居や映画の「役」を表す「角色」「主角」などの場合はjueと読みます。「殻(壳)」は、「貝殻」と言うときはkeですが「地殻」ではqiàoです。「色」にはshǎiとsèがあり、「給」はgěiとjǐ、「落」はlaòとluò、などなど。これら2つの読み方のうち前者は北京の話し言葉の発音で、「白話音」と呼ばれます。後者は書き言葉の発音で、「文言音」「読書音」などと呼ばれます。このからくりを理解しておくと、普通話と「北京語」とはどう違うのかを知るのに役立ちます。

昔ながらの純粋な北京の話し言葉では、芝居の役の意味の「角」も文言音のjueではなく白話音jiǎo(R化=そり舌になって「角儿」jiáor)を使います。同様に「色」も白話音で「色儿」(shǎir)、そして「地殻」などという文言音の学術用語は昔の庶民ははなから使いません。しかし、教養ある人たちの使う文言音はどんどん庶民の言葉の中に入ってきます。「普通話」という新しい共通語の方針が発表されたのが1956年の2月、「北京語音を以って標準音と為す」と定められ、白話音と文言音の混ざった、すでに北京で自然にできあがっていた混交語としての北京語の音系が、基本的にはそのまま普通話に受け継がれます。よって、普通話は決して「人工語」などではないのです。人為的なのは、こまごまとした選択の問題。例えば、「学」は文言音の「シュエ」と白話音の「シャオ」のうち、白話音のほうは却下されて文言音「シュエ」のみが採択されています。「白」と「百」には白話音「パイ」と文言音「ポー」があったのですが、こちらは文言音のほうがお払い箱になって白話音「パイ」だけが残されています。

普通話の方針の2本目の柱である「北方方言を以って基礎方言と為す」というのは、北京でしか通じないようなコテコテの北京方言は採用しないぞ、という意味なのでしょうが、次のような問題があります。ヘビを表す語は広東語など南方では「蛇」ですが北方では主に「長虫」なのです。そして「長虫」に囲まれるようにして北京に「蛇」があります。ネズミは南方で「老鼠」、北方では「耗子」、そして北京にはこの両方があります。こういった語彙の選択にはどうやら、3本目の柱である「模範的な現代白話文の著作を以って文法の規範と為す」にあるように、魯迅や老舎など文豪の著作や、『新華字典』などの権威ある辞書が大きく影響したと思われます。ネズミの「老鼠」は唐詩に現れます。穀物を食い荒らして消耗させるもの、という意味の命名である「耗子」は『西遊記』に現れ、初の北京語による小説である18世紀の『紅楼夢』にも出てきます。「老鼠」か「耗子」かの選択で結局、古いほうの「老鼠」が選ばれ、ヘビも同じく、歴史のある「蛇」が選ばれたのです。古い語彙はおおかた南方に残っていますから、結果として南方の言葉と同じになったわけです。

中国語には、閩南語のようにほとんど全ての字に文言・白話音の2つの読み方がある言葉もあれば、広東語のように大部分1つの読み方だけの言葉もあります。日本語の2系統の音読「漢音・呉音」には、閩南語の文言・白話音に酷似しているペアーが結構あります。「家」は漢音が「か」、呉音は「出家」「武家」などと言うときの「け」、これなどは閩南語の文言・白話音でもこのまま「カ」と「ケ」です。「西」の漢音「せい」と呉音「さい」も閩南語で「セ」と「サイ」。「月」の「がつ:げつ」は「グヮッ:ゲッ」、「京」の「けい:きょう」は「ケン:キャン」。日本語の漢音と閩南語の文言音は唐代後期の中原官話(西安、洛陽など)の発音、日本語の呉音と閩南語の白話音の一部は隋唐以前の南朝の発音、このように輸入元が同じであるため、両者は似ているのです。北京語・普通話の場合は、白話音は元朝のころの北方方言、文言音は明朝のころの中原官話、といったあたりにつながりを見出せます。明朝のころの標準語は、すなわち南京語。「月」は南京語で「ユエッ」、数字の「一」は「イーッ」、「鴨」は「ヤーッ」。北京語ではそれぞれ「ユエ」「イー」「ヤー」。南方人が得意なこの「ッ」は、これぞ正統な発音なのだとねばりにねばって数百年、しかし、普通話の制定をもってついに標準音の地位を完全に追われます。遷都の際に南京人が持ってきた焼き鴨は北京ダックとして残ってますけど。

蛇足ですが、一般に日本人が「北京語」と言った場合、たいがいは普通話を指しますから、PPWのお仕事情報の欄に「日常会話レベルの北京語」とあっても、「学」を「シャオ」と読んだりネズミを「耗子」と言ったりする、コテコテの北京方言を話す人材を求めているわけではないはずです。

大沢さとし(香港、欧州、日本を行ったり来たり)

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