花様方言 アルファベットの由来

2015/12/16

Vol. 78
<ギリシャ悲劇>

「アルファベット」とは「アルファ、ベータ」という意味なので、もとはといえばギリシャ文字こそがアルファベット(1音1文字の表音文字)の代表格だったのです。ギリシャ文字はローマ字(ラテン文字、ラテンアルファベット)の大先輩にあたる文字ですが、現在ではせいぜい数学や物理の記号か、でなければ現代ギリシャの債務危機や難民のニュースぐらいでしか見る機会がなくなっています。ただしラテン文字に置き換えられたギリシャ語であれば、それとは気づかずに多くの人が毎日のように目にしています。
「telephone」は、tele(遠くの)+phone(音)、古典ギリシャ語を使って作られています。この「ph」はギリシャ文字の「φ」をローマ字に置き換えたもので、もとは「p」の有気音を表し、のちに「f」の音に変わったのです。photo、elephant、のように「ph」を含んだ語は全てギリシャ語起源だと思っていいですが(ベトナム語のフォー「ph」などは違います)、実は今でも律儀に「ph」と書いているのは英語とフランス語とスコットランド語ぐらいなもので、ラテン文字を使っている他のほとんど全ての言語では、Telefon(ドイツ語)、telefoon(オランダ語)、telefono(イタリア語)、telefone(ポルトガル語)…のように、発音に合わせて「f」に改められています。今はスマートフォン全盛時代なので、街で毎日見る「ph」の字はおそらく「iPhone」。これは英仏以外の言語でも「iFone」などとは書かず「iPhone」のままです。
長距離走の「マラソン」は「マラトンの戦い」の「Marathon」というギリシャの地名が起源ですが、この「th」もギリシャ文字「θ」をローマ字に写したもの。もとは「t」の有気音を表し、のちに歯間摩擦音に変わったのです。このように古代ギリシャ語には有気音があり、①π、τ、κ=「無気のp、t、k」②φ、θ、χ=「有気のp、t、k」③β、δ、γ=「濁音b、d、g」という3項対立だったのです。ギリシャ語を学んだ古代ローマ人は、有気音とは「p、t、k」に「h」という息の音(声門摩擦音)が付いたものだと見抜いて、「ph、th、kh(ch)」と転写します。この表記法は、中国南部にやってきたヨーロッパの宣教師たちが閩南語や客家語や贛語などをローマ字表記する際に使われ、また、IPA(国際音声記号)にも[pʰ][tʰ][kʰ]のように応用されています。
アポストロフィを使って「p’、t’、k’」と書く方式もあります。蘇州語、寧波語、杭州語、温州語、金華語、上海語など、3項対立構造を持った、主に呉語の系統の言葉がこの方法で多く転写されていて、ほかにも、1912年発行の『粵法字典』(カトリックの宣教師による本格的な広東語-フランス語の字典)や、北京語ローマ字でも、19世紀末に作られたウェード式とフランス極東学院式が「’」を使っています。「p’a」は有気音、「pa」は無気音。この「’」は古典ギリシャ語で「h」を表した有気記号「’」の応用で(ただし、向きが逆。「῾」が有気、「’」は本来なら無気記号。老眼になると見えない)、やはり有気音の正体を息の音「h」ととらえた発想なのです。
19世紀には英語を母語とする宣教師もやってきます。福州語(閩東語)は閩南語と同じ閩語の仲間ですが、濁音が音素として対立しておらず、有気・無気だけの2項対立。アメリカのメソジスト教会のモーゼス・クラーク・ホワイトは福州語のローマ字「平話字」を作った際、有気音には「p、t、k」の字を、無気音には「b、d、g」の字をあてます。フランス語やポルトガル語などラテン系諸語とは違って英語の「p、t、k」は有気音ですから。同じくゲルマン系のドイツ語もしかり。20世紀初頭、ドイツ領だったチンタオでは「ドイツ式ローマ字」が作られ、同様の方式が使われます。だいたいこのあたりが、現在のピンインの有気・無気の表記法のルーツです。以後、20世紀の前半にはいわゆる「国語運動」が起こって、中国全土を一つの言葉で統一しようという機運に押され、19世紀に華南各地で花開いた「方言」のローマ字化の動きは勢いを失っていくのです。
尚、郵政式ローマ字や香港政府方式のように、有気・無気を区別せず、いずれも「p、t、k」とする表記法もあります。母音の長短を区別せず「大阪」も「小坂」(おさか、岐阜)も
「Osaka」とする日本のヘボン式と似たようなものです。現行の北京語ピンインや広東語イェール式ローマ字などのゲルマン式(?)の有気・無気の表記法は、音素表記としてはじゅうぶん「合理的」なのですが、学習者は注意が必要。教師がネイティブスピーカーの場合、悲劇は起こります。この世に濁音というものがあるなどつゆも知らない北京人や広東人と、言葉に有気・無気という違いがあるなど夢にも思ってない日本人。教える側か習う側のどちらかだけでもこの点を理解していないと、両者のすれ違いは深刻なものになります。もしも、世界を制したのがラテン文字ではなく、有気・無気・濁音の3種を区別できるギリシャ文字だったなら、この種の悲劇は起こらずに済んだのでしょうけど。

大沢さとし(香港、欧州、日本を行ったり来たり)

ギリシャ語看板

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