花樣語言Vol.132 そのヒツジ、変容

2018/01/02

子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥。これが十二支、日本ではこれらを訓読します。ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い。これは十二生肖(せいしょう)または獣歴といって、本来は別物。日本では、辰巳(たつみ)、酉(とり)の市、丑(うし)三つ時、フーテンの寅(とら)さん、のように十二支が使われます。中華圏では十二支はあくまで十二支ですから、十二生肖すなわち日本で言うところの「えと」には、鼠、牛、虎、兔、龍、蛇、馬、羊、猴、雞、狗、豬、という実際の動物の字を使います。酉年(とりどし)なら「雞年」、戌年(いぬどし)なら「狗年」。戌年生まれなら「属狗」。属戌、とは言いません。

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日本と中華圏では、猴(さる)と狗(いぬ)の字が違っています。龍/竜、雞/鶏、豬/猪は同じ字の、異体字の関係。「狗」は本来、小さい犬を指したとされますが現在はゴールデンレトリバーやボルゾイのような大型犬でも「狗」。「犬」が古くて文語的、「狗」はそれより新しくて、より口語的。十二生肖は庶民のためのものなので「犬年」とはせず「狗年」。対して日本は、庶民が文語的な漢字を普通に使います。古い字なので必然的に画数は少なめです。犬/狗、箸/筷、目/眼、足/脚、木/樹、赤/紅、青/藍…。日本人が苦手なのは、つまり新しいほうの漢字。「天狗」から「犬」を連想できる日本人はほとんどいないし、現代中国語で「行く」を意味する「去」も、「去る」という古い意味しか知りません。

サル一般を表す字は現在の中華圏では「猴」です。猿=「猴子」。猿の類を表した字は実にたくさんあります。貜、猩、狒、蜼、猱、蝯、猨、狖、狙、獨、猓、狨、禺、猴、猿、…。様々な種類のサルが言い分けられていたわけで、これは漢字世界においてはやや特殊な事例。カンガルーが「袋鼠」でネズミだったり、タヌキが「貍䤕」でネコだったり、カメレオンが「變色龍」で龍だったりするアバウトさ(?)からすれば、漢民族にとって猿はかなりなじみの深い動物だったようです。広東語の「馬騮」(マーラウ)は当て字で、馬とは関係ありません。これは華南の先住民族の言語に由来していて、タイ系のチワン語などでもやはり「マーラウ」。中国大陸の猿は現在かなり南下して、華南と西南地域にしかいません。香港には有名な野生猿の山がありますがハイキングの際には猿どもによる引ったくりに注意。

動物以外でも、ピアノ(鋼琴)、バイオリン(小提琴)、チェロ(大提琴)、ハーモニカ(口琴)、アコーディオン(手風琴)などがみな「琴」だったりと、漢語では物の名前が結構大ざっぱな概念のもとにまとめられることが多いです。「豬」は日本でイノシシになりましたが中華圏ではブタ、日本ではこれもまた「豚」という古い漢字を使います。漢語では家畜と野生種が同じ字で表される例が結構あって、イノシシ(野豬)とブタ(豬)、カモ(鴨)とアヒル(家鴨)、ヤギ(山羊)とヒツジ(綿羊)、シカ(鹿)とトナカイ(馴鹿)、そしてハクチョウ(天鵝)もガチョウ(鵝)だったりします。イノシシ年が中華圏でブタ年なのはよく知られているとして、もうひとつ、一般によく見落とされるのが「羊年」、これはヤギ年です。中華圏では、その「羊」、兼用、ヒツジとヤギの両方を表しますが、十二生肖の場合は「山羊」のほう。10年先になりますが次のヒツジ年のときに「羊」の絵をよく見てみてください。明らかにヤギです。「羊城」の異名をとる広州のシンボルの「羊」もヤギ。英語訳で中華圏の羊年は「sheep」ではなく「goat」。牧畜民族である英国人は見間違えません。

「えと」が日本に伝わった頃、日本人は「羊」を知らなかったはずです。なのになぜ「ひつじ」という日本語があるのでしょう。歴史的に何度か日本にヒツジが持ち込まれた記録はありますが繁殖には至らず、飼育が本格的に始まったのは明治以降。ヤギのほうも明治以前は沖縄と九州の一部に限定。とても新しいのです。「ひつじ」の語源は諸説あって真相は不明。しかし、虎と龍も、毛皮や書物や伝承で知るのみであったにもかかわらず昔の日本人はイメージを確立していたし、また、現代においても例えば漫画・アニメなどのサブカルチャー空間には、日本には存在しないにもかかわらす「執事」という架空の生きもののスタイルが確立しています。この「執事」は香港にも伝来して、『ハヤテのごとく!』の訳題は『爆笑管家』(管家=家政婦や執事の意味)だったのに『黒執事』はそのまま『黑執事』です。
群馬県に多胡羊太夫(たご・ひつじだゆう)という奈良時代の豪族の伝説があって、羊神社というのがあります。太古、渡来人の豪族たちが割拠した北関東、「羊」は、そういう異国情緒をかもす言葉であったわけです。それにしても不思議ですね、ヤギのイメージが強い漢語の「羊」、この「羊」(yang)の音をうつしたと思われるのが日本語の「ヤギ」(yagi)、でも日本で漢字の「羊」と和訓「ひつじ」によって表され「えと」にもなっているのは、あくまでヒツジですから。

大沢ぴかぴ

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