花樣語言 Vol.157 走れ師傅

2019/01/09

Capture

香港には「師傅」がたくさんいる。カンフーや獅子舞を教える人たちだけではない。調理師は茶餐廳や雲呑麵の店でも「師傅」と呼ばれているし、エアコンを取り付けにくる電気屋もトイレの水漏れを直す水道屋も「師傅」だ。パン屋は「麵包師傅」、ペンキ屋は「油漆師傅」、工事現場で竹の足場を組んでいるのは「竹棚師傅」。ショベルカーを操縦しているのもセメントを混ぜているのも「師傅」であるに違いない。何らかの技術を身につけている人たち、職人さんたちの尊称が「師傅」だ。

「師傅」(シーフー)は往年の香港のカンフー映画によって世界中に知れ渡っている。アメリカのアニメ『カンフー・パンダ』には「Shifu」というキャラが出てくる。中国版の翻訳では「師傅」(师傅)だが、もっと偉い「Grand Master」が自分の弟子を「師傅」と呼んでいるのは変なので、香港版では「施福」(シー・フー)と字を当てて、これは名前だということで処理した。施姓の福(Fuk)さんである。カンフー映画に出てくる「師傅」の日本語訳は「師匠」。クレヨンしんちゃんの2018年の劇場版『爆盛!カンフーボーイズ~拉麺大乱~』にはジャッキー・チェンの『酔拳』の師傅、袁小田をイメージした「師匠」が出てくる。これの香港版広東語訳はもちろん「師傅」。実際の袁小田も、その息子の袁和平も、香港映画の武術指導の、本物の師傅である。「師傅」は「師父」(シーフー)とも書かれる。同じ意味で使われているが、本来は同じではない。「師傅」は、「師」も「傅」も教師という意味で、学問や技術、武術、芸能などの、文字通り先生である。「師父」は儒教的な師弟関係において、恩師を自分の親になぞらえる程に尊敬度を高めた尊称だ。拳法の師傅は確かに「師父」により近い。兄弟子は「師兄」、それが女性なら「師姉」、後輩は「師弟、師妹」、師父の師弟なら「師叔」。このように門下生で疑似家族を構成する。トイレの水漏れを直してくれる水道屋の恩は山よりも高く海よりも深いので、やはり「師父」?

日本では12月を「師走」という。が、師走に師は走らない。これは江戸時代の当て字だ。その前に「師馳」が初登場するのが平安末期の辞書『色葉字類抄』だがやはり「俗な解釈」と説明している。しわす(しはす)はもっと古くて日本書紀から出てくる。記紀万葉の古い日本語は平安時代すでに意味不明になっていた。だから苦しまぎれに(?)当て字をした。しかし、師(坊さん)が馳せる(馳す)というこの語源俗解もかれこれ千年の歴史がある。先人の思い(思い込み?)を受け継ぐのも文化、必ずしも悪いことではない。って、年明け早々、なんで師走の話をするのかって?おっと、師走とは本来、旧暦の12月であることを忘れてもらっては困る。確かにこの原稿は年末に書いている。が、今年は1月3日~2月4日が旧暦12月だということはちゃんと計算に入れている。

1月「睦月」むつき、2月「如月」きさらぎ、3月「弥生」やよい、4月「卯月」うづき、5月「皐月」さつき、6月「水無月」みなづき、7月「文月」ふみづき・ふづき、8月「葉月」はづき、9月「長月」ながつき、10月「神無月」かんなづき、11月「霜月」しもつき、12月「師走」しわす。この中で誰もが必ず知っているのが師走だ。あとはほとんど曖昧で、文人墨客でもない限り旧暦という意識もない。旧暦の師走、すなわち新暦の1月や2月に、やれ年の瀬だ、やれ師が走るほど忙しい、だのと吹聴しても意味がない。旧正月→新正月という移動に連れて、師走は完全に新暦へとシフトした。師走は年末の代名詞、だから師走だけは有名だ。競馬の皐月賞は4月なのに問題ない。皐月=5月という意識が薄れているからだ。もし4月に「五月(さつき)賞」だったなら違和感を覚えるだろうし、女性の名前の「さつき、やよい」もはっきり「5月、3月」とわからないところに趣きがある。日本式の月名は現在、その曖昧さを、たしなむ程度に使う、という風流な存在になっている。

漢字表記のうち、如月、弥生、皐月、は中国の文献にも出てくる。が、和語の「きさらぎ」の本来の意味などは特定できない。「やよい」は「いやおい」の変化、「さつき」は「さ」が「耕作」の意味だとか「さなえ(早苗)月」だろうといわれる。「師走」並みの当てずっぽう、でまかせ(?)があと二つある。水無月(みなづき)は水の無い月ではない。「水の月」という説の方が有力だ。「みな」は「みなもと」(水の元=源)などと同じ。「の↔な」は「たなごころ」(手の心=手のひら)などと同じ。雨の多い季節に「水無し月」では意味が深すぎないか。神無月(かんなづき)も神の無い月ではない。全国の神様が出雲に出向くので神がいなくなる、という解釈は後付け。神が集まる出雲では「神在月」(神有月、かみありづき)というのも、ガセネタの「神無月」を踏まえての更なる後付け。ただしこれらも平安時代からだ。悠久なデマの伝統がある。

現代の中国語で「はしる」は「跑」。空港の「”run”way」は日本では「滑”走”路」だが中華圏では「跑道」だ。「走」は「行く、歩く」または「去る」の意味。「はしる=走」は古語。「廊下」は中国語で「走廊」というが決して「はしる」場所ではないし、廊下は走ってはいけないと日本でも小学校で教える。茶餐廳で「走糖」といったら「砂糖なし」のこと。砂糖を、除”去”だ。啡走=咖啡走糖(砂糖なしコーヒー)、茶走=奶茶走糖(砂糖なしミルクティー)。また、「死ぬ」を表す場合もある。この世から「去る」ということだ。師走に師は走らないし、師は去らない。

 

大沢ぴかぴ(比卡比)

Pocket
LINEで送る