花樣語言 Vol.173<カズオとハルキ>

2019/09/11

 去年はノーベル文学賞の選考がなかったため、一昨年の受賞者カズオ・イシグロが今なお最新の受賞者である。英文学者の氏家理恵教授が講演会で「、ノーベル賞でカズオ・イシグロを初めて知ったという方は?」と切り出したら、案の定、聴衆の半数以上が(正直に)手をあげた。ノーベル賞は候補が公表されないので、毎回騒がれながらハズレている村上春樹のようなのを除けば、本屋にあまり在庫の用意がない。だから受賞が決まるとすぐ売り切れて、大量に重版されてからようやく店頭に山積みされる。カズオ・イシグロもまさにそういう部類の作家だった。イギリスではブッカ―賞作家として有名だが、このブッカ―賞というのが日本ではほとんど知られてない。氏家教授も英文科の学生のころブッカ―賞を知らなくて教師にあきれられた、という経験談を講演会で(正直に)お話しになった。
香港ではカズオ・イシグロ(石黑一雄)は日本人扱いだということを以前書いたが、誠品書店ではイギリス人作家の扱いになっていて、バーコードシールにもしっかり「英國文學」と書いてある。初期の長編2作、『遠い山なみの光』(1982年)と『浮世の画家』(1986年)は日本が舞台だが、3作目『日の名残り』(1989年、これがブッカ―賞)は完全にイギリスの話である。が、テーマは1,2作目と同じ。次の『充たされざる者』(1995年)から作風ががらりと変わってリアリズムと決別する。中欧の架空の都市が舞台で、これを「カフカ的悪夢の世界」と評するのであれば、街のモデルはプラハだろうか。冒頭に変な部分がある。ホテルに着いた主人公がエレベーターに乗ってポーターと話を始める。この会話が延々と続く。延々と12ページ以上にわたって続く。かたつむりの速度より遅い旧式エレベーターか、あるいは500階建てぐらいの超高層ビルでないと、エレベー
ターの中でこんな長話はできない。
『日の名残り』にも似たようなことがある。主人公は車で旅しながら過去を回想する。この回想文が、とてつもなく長い。これを手記に記していったのだとしたら、とてもではないが旅館で早起きしたり池のほとりで休憩したり、という程度の時間で書ける分量ではない。文豪たちはよく、平気でこの手の破綻を起こす。漱石の『こころ』の「遺書」については三浦しをん『舟を編む』の中で語られている通り。文庫本にして約150ページ分(小説全体のおよそ半分にあたる)の長さの遺書を書いた原稿用紙の束が「懐に収まるサイズの書留郵便」で送れるはずはない。まさに小包でないと無理だ。リアリズムの作家と言われるのを嫌った(らしい)イシグロ、まさかあの長い長いエレベーターは、アリスが落ちた不思議の国へと通じる穴のような、迷宮への入り口のメタファーではあるまい。とは言っても初期の3作も、言われるほどリアリズムの作品ではない。5歳で日本を離れたイシグロにとって日本は空想の国であり、本人も「日本人の作家が書いたようには思えないはず」と言っている。が、故郷の長崎を書いた『遠い山なみの光』の日本語版はどうだろう。じゅうぶん「日本人の作家が書いた」ように思える。翻訳(小野寺健)がうますぎるためだ。
日本語訳に出てくる「狭い四畳半」は原文ではなんと「small square room」である。これを、小さな四角い部屋、正方形の部屋、などとしようものならぶち壊しである。日本の「スクエアールーム」はまさに「S」=四畳半、「M」=六畳、「L」=八畳がある。原文に「the chess game」が出てくるが、これは将棋と訳されている。戦後間もない日本の畳の部屋、確かにチェスより将棋という雰囲気だ。「the castles」が「角」となっている。チェスのキャッスル(ルーク)と同じ動きをする駒は将棋なら飛車だが、「早く動かしてはいけない」というセリフがあるので(将棋では「振り飛車」の場合、飛車が早めに動く)、それでわざと角にしたのだったら、これは誤訳でないどころかワザありである。
063d60e6623c5775578df833850c91c7_t 讃岐うどんが全国展開する前は、関東でも関西でもうどんとそばは必ず同じ店で売っていて、関東ではそれを「そば屋」と呼び、関西では「うどん屋」と呼んでいた。関東ではうどんを食べる
のにも「そば屋」に行き、関西ではそばを食べるのにも「うどん屋」に行く。『遠い山なみの光』には「noodle shop」というのが何度も出てきて、これが「うどん屋」と訳されている。終戦のころの長崎のうどん・そば事情がわからないので判断しかねるが、ラーメン(中華”そば”、中華”饂飩”)も考えられるだろうし、長崎といえば「ちゃんぽん」もある。この「noodle」が何を指すのか、作者に確認を取っただろうか。以前、村上春樹の『ノルウェイの森』をオランダ語訳で読んだとき、ワタナベと直子が駒込駅の近くで食べる「noedel」(英語のnoodleに相当)の店が日本語では何なのか、大変気になった。原作にあたってみると「そば屋」だった。村上春樹は関西人なので、すわ「うどん屋」か、と思ったのだが(。関西人のくせにヤクルトスワローズのファンだ)
イシグロは日本語をほとんど読めないにもかかわらず「日本語訳では登場人物の名前に漢字が使われるものと思っていたらしい」ことを翻訳者は見逃さなかった。それで、いかにも翻訳という出来ばえになるカタカタをやめて、佐知子、万里子、悦子、と漢字をあてた。これが「日本人の作家が書いた」ようになった決定打である。村上春樹は、ワタナベ君、レイコさん、キズキ、ナカタさん、カワムラさん…、カタカナが多い。(カワムラさんは『海辺のカフカ』の猫。)『ノルウェイの森』の由来の『Norwegian wood』は森ではなく木材(安物の家具)の意味なので誤訳だ、という説がある。ノルウェーには、寒冷地仕様になりすぎて毛の分量が尋常でない、モップに猫耳と顔が付いたような猫の種がいる。ノルウェージャンフォレスト、すなわちこれが本物の「ノルウェーの森」(という猫)である。

大沢ぴかぴ(比卡比)

Pocket
LINEで送る