花様方言 Vol. 176 <Which “ese”?>

2019/10/23

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イギリス人はイングリッシュ、アメリカ人はアメリカン、カナダ人はカナディアンで、フランス人はフレンチ、日本人はジャパニーズ。日本語や中国語なら一律「~人」で済むことだが英語では-sh、-n、-ese、いろいろあって面倒だ。「タイ」というのは日本語では国名だが英語の「Thai」は「タイ人」あるいは「タイ語」の意味。国名は「Thailand」である。
ヨーロッパ諸語は概して「~人」「~語」の言い方に統一性がなく複雑怪奇、フランス語でもジャポン→ジャポネ、シンヌ(中国)→シノワ(中国人)と、ひとつひとつ覚えなければならない。しかも男女の違いがある。日本人女性ならジャポネーズ、中国人女性ならシノワーズ。パリジャン(仏:Parisien、英:Parisian)はパリ人。女姓ならパリジェンヌ(Parisienne)。タカラジェンヌというのは宝塚歌劇団の劇団員。語尾で女性だとわかる。「シロガネーゼ」は白金台に住むセレブのことらしいが、これはイタリア語の語尾だ。ジャッポーネが日本で、日本人がジャッポネーゼ。白金台は正しくは「しろかねだい」と読む。「シロガネーゼ」と誰かが言い出して以来「しろがねだい」と読む人がさらに増えたらしい。
ドイツ語なら、Japan、Japaner、Japanerin(日本、日本人男性、日本人女性)、ゲルマン諸語では「-er」語尾が多い。英語では、teach→teacher、のような用法が主だが、地名でも「NewYorker」(ニューヨーク人)などがある。沖縄ではアメリカ人を「アメリカ―」と呼ぶ。国名は「アメリカ」で、「アメリカ―」はアメリカ人。「金持ち」なら「じんむちゃー」(銭持ち+あー)。おそらくこの形式の発展形が「アムラー」(安室奈美恵のファッションの模倣者)で、さらに「マヨラー」(マヨネーズ好き)などができた。スウェーデン人は、何かの危機に瀕したときや大変なことが起こったような場合に「Japaner,japaner,japaner!」(ヤパーナル、ヤパーナル、ヤパーナル!)と叫ぶ。これの由来も1936年のベルリンオリンピックである。水泳の「前畑がんばれ」以外にも、日本はサッカーでスウェーデンを3-2で破ってベスト8に入って「ベルリンの奇跡」と呼ばれた。そのときスウェーデンのアナウンサーが、ゴールに迫ってくる日本の選手たちを見て叫んだのがこの「日本人、日本人、また日本人!」である。サッカーや日本とはまるで無縁な場面で使われるようになって、スウェーデン語のイディオム、慣用句となった。
迫ってきた日本の選手は一人ではない。だからこの「japaner」は当然複数であり、ここにも欧州諸語のやっかいな複数形の問題がある。(「複数形、複数形、また複数形!」と叫ばないように。)ドイツ語は単・複いずれも「Japaner」(ヤパーナー)だがスウェーデン語の「japaner」は男性複数だ。単数形は「japan」である。国名の「Japan」は「ヤーパン」、日本人は「ヤパーン」、発音が違う。(スウェーデン語にも母音の長短と高低アクセントがある。)三修社『スウェーデン語の基本』(2014年)の例文に、Hanärjapan(.彼は日本人です)と、Honärjapanska(.彼女は日本人です)が載っている。女性なら「japanska」だ。女性の複数形は「japanskor」。2011年に女子サッカー日本代表がワールドカップで優勝したとき、準決勝でスウェーデンに3-1で勝った。そのときスウェーデンのアナウンサーが「Japanskor,japanskor,japanskor!」と叫んだかどうかは知らない。
マカオ人のことを「マカエンセ」と言うのはポルトガル語だが、香港人の場合はどうだろう。以前は「Hongkongese」があったが今は「Hongkonger」が優勢だ。分かち書きの「HongKonger」もたまにあって、最近AFPの英語版記事で見た。山口文憲『香港旅の雑学ノート(』1979年)には「、ホンコニーズ」や「ホンコニアン」ではピンとこないし、香港人という自覚もない、と書かれていて、金庸もまた同じようなことを言ったことがあるが、これがその後コペルニクス的な大転換を迎えることになる。『タウン・マニュアル香港』(1990年、陳守強)にはすでに、かつて「香港というところを恥じていた」「香港が嫌になって日本に来た」という筆者が香港を光栄に思うようになった気持ちが表されている。そもそも漢語の「~人」はアイデンティティーとは必ずしも関係なく、北京で生まれれば北京人、広東省に祖先の籍があれば広東人だ。が、最近は、MK(モンコク)人、東涌人、將軍澳人、といったピンポイント的な「~人」もあって、これは確かに地元愛から来るアイデンティティーなのである。(Confirmed)713_Godaigo
英語に「~人」という固有の言い方がない地域はもちろん珍しくない。英語話者にとってなじみの薄い地域なら、なかったり、曖昧である。「Tokyoite」(東京人)というのも一応あるのだが普及してない。(「Hongkongite」もあった。)呼び名は必要が生じれば自然にできてくる。イギリスの北にあるデンマーク領のフェロー諸島、ここの言語や民族の独自性が明らかになって「Faloese」(フェロー語、フェロー人)という英語の名前ができたいきさつを、縁があって知っている。言語を調査したイギリスの学者が、調査団に同行していた日本人の言語学者、寺川喜四男博士の顔を立てて「Faloese」(フェロイーズ)にしたのだという。日本人(Japanese)の「-ese」を取った。学生のとき寺川名誉教授ご本人から直接聞いたのだが、当時すでに相当なご高齢だったので、どれくらい尾ひれが付いた自慢話になっていたのかは今となっては察するすべがない。「Which”ese”?」という英語があるらしい。日本人(Japanese)か中国人(Chinese)か尋ねるとき、イギリス人が言うのだという。あなたは、ジャパニーズ、チャイニーズ、どちらの「イーズ」ですか?…と。

大沢ぴかぴ

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