花様方言 Vol. 182 <ひらがな論>

2020/01/22

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 去年の台風19号のときにNHKの公式ニュースアカウントが外国人向けに注意を呼び掛けた「ひらがなだけのツイート」が注目を浴びたらしい。「らしい」というのは、わたくしはSNSは一切やらないので直接見てはいないからだ。その「ひらがなツイート」とは、こういうものらしい。《【がいこくじん の みなさんへ】たいふうが つぎの どようび から にちようび、とうかいちほう や かんとうちほう の ちかくに きそうです。とても つよい かぜが ふいて、あめが たくさん ふるかもしれません。きをつけて ください》。そうしたら日本人から批判めいたコメントが寄せられたそうだ。こういうものらしい。《なんですか、これ。外国人の方々をバカにしているんですか?》そうするとわたくしはどうしても、こう言ってみたくなる。《あなた、ひらがなをバカにしているんですか?》

 多くの日本人がひらがなを漢字より格下のものと見下していることは百も承知だ。日本人に漢字を捨てさせることはアメリカ人に古代ローマ帝国の文字(アルファベット)を捨てさせることより難しいだろう。今さら日本人の方々に、かな文字だけでもじゅうぶんまともな日本語が書けることを科学的に説いて回る気にもならない。ひらがなだけの文章というと子供の絵本がある。幼稚園や保育園にもひらがながたくさん書いてあって漢字がない。実に絶景である。香港の幼稚園はどうか。漢字だらけだ。しかも画数の多い繁体字。それどころか英語もたくさん書いてある。(英語を教えない幼稚園をもし香港に作ったら、きっと園児が一人も集まらないだろう。)言語や文字を先入観なしで見るのは難しい。ひらがな=低レベル、というのは日本人の固定観念だ。ひらがなツイートについての外国人の反応でも、中華圏から来た人たちからはこういう意見が出てくる。《漢字があれば日本語がわからなくてもだいたい意味がわかるが、ひらがなだけだと絶望的》。ひらがなのほうがハイレベルで難しいのだ。

P19 Godaigo_725 ヨーロッパから来た人たちでも、こういう意見を言う。《ひらがなのみの文章は読みにくすぎる。日本語の教科書でも、早い段階で、ひらがなとカタカナと漢字(ふりがな付き)を混ぜるので、ひらがなのみの文は慣れていません》。ひらがなの文が読みにくい、というのは一般の日本人と同じ感想だ。「慣れていません」というこのひと言が重要。つまり、ひらがなだけの文章はほとんど目にすることがないので、だから「読みにくい」。かつてドイツでは「亀の子文字」(フラクトゥール)と呼ばれる字体を使っていた。今のドイツ人にとっては非常に読みにくい。が、実験した学者がいる。学生に無理やり亀の子文字の本を読ませて慣れさせたところ、短期間ですらすら読めるようになったということだ。かな文字だけの日本語も訓練すれば楽に読めるようになる。漢字の「東京」を読み取るのに0.2秒、ひらがなで「とうきょう」は0.9秒、だから漢字のほうが読みやすい、などという「実験」は実に不公平で非科学的である。漢字の「東京」はひらがなより何十倍も目にする機会があって「慣れている」のだから速いのは当たり前だ。漢字の象形性云々という話も関係ない。かな文字も漢字と同じく、「慣れる」ということは、「とうきょう」という字列の「かたまり」の「かたち」を記憶に刻み込む、ということだ。そして発音するときには「とうきょう」を「トーキョー」と音変換する。いちいち「と、う、き、ょ、う」と一文字ずつ読んだら、それこそまさに幼稚園児だ。彼らはひらがな五十音は覚えても、それらの組み合わせでできる「かたまり」までは覚えていないのだ。ひらがなが読みにくいという大人は、だから、ひらがな文に関してだけ言えば幼稚園児と同じレベルである。

 ひらがなの文章を楽に読むためには、ひとつ重要なことがある。日本人に「ひらがなで書いてみろ」と言うと大概、たいふうがつぎのどようびからにちようび…と、ず~とつなげてだらだら書いてしまう。ひらがなツイートをよく見てみよう。子供の絵本と同じく「分かち書き」されている。これをしなければ楽には読めない。英語もフランス語も韓国語もアラビア語もインドネシア語も、大概の言語は分かち書きをする。ひらがなに慣れてない日本人は、分かち書きをすることにも慣れてない。中国語やタイ語など分かち書きをしない言語は、単音節的でいわゆる「孤立語」という類型に属する言語が多い。大ざっぱに言うと中国語は漢字ごとに、タイ語も音節ごとに、意味の切れ目があるとわかっているので分かち書きをしなくても大いに困るということはない。「意味の切れ目で分ける」とは、「かたまり」を見やすくすることだ。とうきょうとっきょきょかきょく→とうきょう とっきょ きょか-きょく。読みやすかろう。早口で読んでも、~きょきゃきょきゅ、になりにくい。

 ひらがなツイートを「漢字かな交じり文」にすると、こうなる。《【外国人の皆さんへ】台風が次の土曜日から日曜日、東海地方や関東地方の近くに来そうです。とても強い風が吹いて、雨がたくさん降るかも知れません。気を付けて下さい》。日本語の文章の中での漢字の役割のうち最も重要なのは、意味の切れ目を表していることである。漢字とかな文字が交互に出てくることで、無意識のうちに意味の切れ目を察知している。それをあなたの脳は「漢字は便利だ」と誤認している。漢字を使わない場合は わかちがきを すべき と しっていた、か、きづいた NHKの ひとは、だから えらい。

 ひらがなだけの絵本が読みにくいという「ひらがな初心者」の方々は、手始めに村上春樹の小説などは入門書としていいかもしれない。彼の文章はとにかく漢字が少ない。一行に漢字が二つ、なんてのはざらで、一行に一つ、も探せば結構見つかる。一行すべてひらがな、も、がんばって見つけてみよう。

大沢ぴかぴ

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