なぜ、日本人に武士道は伝わらないのか 第2回

2020/07/22

P09 school bushido_745_2世界中で注目されている日本人特有の性格や行動の数々。それらの由来は武士道精神にあった。
しかし、日本人の間では武士道精神が何たるかが驚くほど浸透していないのが日本の現状。
日本最初の国際人と言われた新渡戸稲造先生による「武士道」を読み解きながら、日本人への理解を深めていく。

 

 

 第2回 不倫も失言も止められない日本人 

 

 武士道は文字通り武人あるいは騎士の道であり、武士がその職分を尽くすときでも、日常生活の言行においても、守らなければいけない道であって、言いかえれば、武士の掟であり、武士階級の身分に伴う義務なのである。(講談社「武士道」序文)

 

 香港にもコロナ第三波がやってきた。それとともに学校は即日休校、飲食店等にもすぐに制限がかけられた。コロナに限らず商売においても特に香港は動きが速いので、ここにいると常に香港人の危機感というものを感じる。

 それに比べて、日本の政治家や芸能人の失言や不祥事の程度の低さを見ていると、相変わらずの危機感のなさが心配になる。かつて日本人の行動規範としての武士道精神を世界に力説した新渡戸先生も今の日本人の姿を見たら頭を抱えるに違いない。

 学生時代は勤勉で優秀だった政治家たち、世の中の非情さ過酷さを誰よりも知る芸能人たちがこのような軽率な言動を繰り返すのは結局のところかれらに行動の指針となるような信仰がないからだ。善悪の判断はできるのだけども信仰がないために自分を律することができず、倫理観に欠けた行動を犯すのである。今こそ日本人は信仰、つまり武士道精神をもとにした道徳意識を身につけない限りこのような不埒(ふらち)極まる振舞いは今後も絶えないだろう。

 

 では、なぜ日本人には信仰が身につかないのか、そこには日本人の危機感のなさが強く関係していると私は考える。一つの民族で信仰の強さが最も問われる瞬間はその民族が他の民族から脅かされるときである。

 例えば、香港であれば毎年6000万人近くの人間が外国からやってくる。観光やビジネス目的とはいえ、人口の約10倍近くもの人間が他所(よそ)からやってくるのはやはり脅威である。ちなみに観光客招致を推進する日本の外国人訪問客は2019年で約3000万人とようやく香港の半分ほどである。

 これだけ大勢の人間が他所からやってくるとそれらの人間を迎える人たちはある程度身構えなければならない。さもなければ自分たちの縄張りを他所のやり方で荒らされる可能性(故意ではないにしろ)があるからだ。また自分たちが数的に劣勢であればあるほど、全員が共通の信仰をもとに一致団結して他所の大軍を迎える必要がある。昨今、世界中で香港の若者たちのエネルギッシュな行動が注目されているが、かれらはまさに共通の信仰によって団結された強い集団の良い例だと言える。かれらの行動の原動力は紛れもなく他所からの脅威による危機感に他ならない。

 一方で、日本では今もこの先も現在の香港のような光景が見られることはないだろう。なぜなら多くの日本人には危機感がないからである。私たちに危機感が芽生えない理由は他所からすぐに襲われないという日本の島国という地理的要因もあるが、何よりも学校で子どもたちに危機感を植え付けるような教育をしないことが最も大きいかと思う。

 それもそのはず、戦後の日本では1970年代に一億総中流という言葉を持って「僕らはみんな平等だ」「格差をなくそう」というような意識改革が国民全体に広まった。ここでは皆が同じレベルで前へ進もうとするので、弱かろうが負けようがいつも周りが自分を待ってくれるのである。このことは結果的に日本人の競争心よりも助け合い精神を育み、おかげで礼儀正しさと思いやりの高さは世界からも一目置かれるほどに洗練されたが、こと競争力に関しては外国人の会話の中に日本の名前が出てくることはほとんどなくなっている。

 

意外かもしれないが柔道初心者はあまり怪我はしないのに、筋骨隆々の大学柔道選手は怪我だらけだ。この両者の違いはまさしく危機感の違いである。ライバルに代表の座を奪われるかもしれないという危機感が自らを律し、怪我を負ってでも日々の過酷な稽古に励ませるのである。

 このように香港やアスリートを見ても人間を律して強くしているものが危機感であることは間違いない。ではどうしたら日本人に危機感を芽生えさせることができるだろうか。そのカギを握っているのがやはり学校教育だろう。(つづく)

 


profile筆者プロフィール

宮坂 龍一(みやさか りゅういち)
東京都出身。暁星高校、筑波大学体育学群卒業。香港歴7年。柔道歴22年。妻は香港人。

 

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