端午節

2021/06/09

端午節は、龍舟節、重午節とも言われ、ドラゴンボートと粽を食べるのは端午節の2つの習慣である。中国では数千年前から伝承されているが、今も変わらない。端午節と春節、清明節、中秋節はともに中国の四大伝統の祝日と称される。端午節句は世界中に影響が広く、世界の一部の国や地域でも端午を祝う行事がある。日本では5月5日の「こどもの日」としてのイメージが強い。粽(関東)、柏餅(関西)、鯉幟、五月人形などの風物詩とともに男の子の節句として知られている。しかし、「端午」の本来の意味や由来について取り上げられることはあまりないかもしれない。

 

スクリーンショット 2021-06-09 134416

 

「端午」とは?

 「端午」という言葉の由来は、干支と関係がある。かつて使われていた旧暦(農歴)は、十干と十二支を組み合わせた干支(天干地支)で表わされた。「端」は物のはし、つまり「始まり」を意味する。「端午」とは、五月に限らず月の最初の「午の日」のことで、五月五日とは直接結び付かない。では、なぜ「五」という数字が出てくるのか? その答えは「十二支対応表」にある。旧暦で月を表す場合、「寅」が一月で「丑」が十二月なので、「午」は五月となる。元々は、「午の月」の最初の「午の日」を節句として祝っていたが、上記の通り「午」が「五」を連想させること、また午と五の発音が同じであることから、旧暦五月五日を端午節として祝うようになった。今年は新暦六月九日に当たる。

 風習の起源については諸説あり、確かなことは未だ解明されていないが、紀元前三世紀の楚の政治家・屈原にまつわる話はよく知られている。詩人でもあった屈原は正義感が強く、人々から慕われていたが、陰謀によって失脚し国を追われてしまう。故国の行く末に失望した屈原は「汨羅江」という川に身を投げてしまう。それを知った楚の人々は、小舟で川に行き、太鼓を打ってその音で魚を脅し、ちまきを投げて屈原の遺体を魚が食べないようにした、と伝えられている。ほかにも、呉越民族の龍トーテム崇拝に由来するとする説もある。

 6

 

 急に暑くなるこの季節は、昔から病気にかかりやすく、亡くなる人が多かった。そのため、ちまきを食べ、香包を身につけるなどして健康を祈願する節句となっている。

 全体的には、端午節を各地の人々が過ごす風習は大同小異で、端午の節句にちまきを食べる。昔から今まで、中国の各地は同じ、今のちまきは更に多種多様。現在各地の粽は、一般的には笹殻(植物の葉)でもち米を包み、中に含まれている餡は各地の特産品と風俗によって特徴づけられる。リュウガン粽、肉粽、水晶粽、蓮蓉粽、蜜餞粽、栗粽、辛粽、漬物粽、ハム粽、塩卵粽などが有名。総じて言えば、南方は肉粽など塩系統の粽を食べ、北方はリュウガン粽など甘口の粽を食べる。

 

スクリーンショット 2021-06-09 134746

 


ドラゴンボート

8

 ”劃龍舟“”龍舟競渡“ドラゴンボートのレースは端午の節句の重要な行事で、中国の南方で非常に人気があり、特に広東省が盛ん。龍舟には太鼓打ち一人、舵取り一人、漕ぎ手人が乗り込む。なぜ太鼓打ちがいるのか不思議に思われるかもしれないが、大人数による手漕ぎ舟では、漕ぎ手のタイミングを合わせることが重要であり、その音頭を取る指揮役として太鼓打ちが必要なのだ。龍舟の心臓の響きと例えられるほど重要な役割を担っている。

7

 最初は古越族の人が水神や竜神を祭る祭りとして活動していたが、その起源は原始社会に始まる可能性があり、ドラゴンボートの歴史は悠久で、すでに二千年余り伝わっている。中国民間の伝統的な水上スポーツ娯楽プロジェクトで、海外に伝わってから、各国の人々に愛されて国際試合が形成された。龍船が競漕する前に、まず龍と神を祭らなければならない。例えば広東龍舟は、端午の節句の前に水中から出発し、南海神殿の中の南海神を祭った後、龍口、龍尾をつけて、競渡を準備します。そして紙製の小公鶏を買って龍船に置いて、船の平安を守ると思う。台湾は母祖廟に祭祀を行う。四川、貴州などの一部の地区では直接に河岸で龍口を祭り、鳥を殺して龍口の上に血を落とす。

 

 広東では、旧暦の端午節の前後、雨の多い季節を迎える。日本の梅雨のようなシトシトした雨ではなく、スコールのような局地的な激しい雨が断続的に降りそそぐ。この大雨を称して”龍舟水“という。南の温暖で湿った気流と北から南下してきた冷たき空気が広東・広西・福建のあたりでぶつかり前線が停滞、広範囲に渡り雷の伴う激しい雨を降らすのだ。急激な天候の変化が多くなるこの時期、天候による飛行機の遅延も出やすくなる。この雨を合図に、龍舟を思い出し、劃龍舟で厄払いや安全祈願、穏やかな天候であるよう願う。


広東にみられる風習

1.趁景・斗標

 龍舟(ドラゴンボート)の技見せのことを「趁景」、レースのことを「斗標」「賽龍船」「劃龍舟」「龍舟競渡」という。かつて交通手段の限られていた時代、舟は広東の人々の主要な足だった。龍を信じ崇拝する人々は、毒気を吐いて人を害するという蛟(みずち、龍の幼生とされる)から邪魔されることを避けるため、舟を龍の形にして水神の祠とした。

 

2

 

 端午節の前後、珠江デルタ地帯各地の水郷で趁景・斗標が開催される。増城新塘景では、川の両岸に彩旗が立てられ、人々はちまきで客をもてなす。各村の龍舟が集まり、まずは趁景で実力を見せ合い、斗標となる。斗標のルールは複雑で勝負は何日にもおよぶ。龍舟には太鼓打ち、舵取り、漕ぎ手人が乗り込む。潮州では、龍舟が通過した後の川の水にはご利益があるされ、それを飲むと無病息災が叶い、女性がそれで髪を洗うと頭痛が治るという言い伝えもある。

 

1

 

2.飲雄黄酒

5 広東の端午節では、かつて雄黄酒を飲む風習があった。雄黄とはヒ素の硫化鉱物「鶏冠石」のこと。毒性を持つこの鉱物は漢方で解毒や殺虫に使われる。蒸留酒の白酒と鶏冠石などを混ぜた雄黄酒は、端午節にはなくてはならないものとされていた。部屋を掃除してから床に撒いたり、指につけて子どもの額に「王」の字を書き邪気や厄を追い払う。飲むと中毒症状が現れるため、今日では実際に飲まれることはなくなったようだ。

 

 

3.掛五月艾

3 門前にヨモギを掛けて邪気を追い払う風習もある。この季節は、五毒(蛇、サソリ、ムカデ、ヤモリ、クモ)が出てきて人に害をおよぼす。香りのきついヨモギや菖蒲が五毒除けになるとされている。広州の伝説によると、この風習は黄巣の乱に由来するという。黄巣が反乱を起した時に、八百万人を殺したという噂が流れたため、人々は黄巣の軍隊を恐れた。ある日、その噂を恐れる老人と会った黄巣は「我々は悪を滅する。門前にヨモギを掛けなさい、そこの住民は善人だと分かるから殺したりはしない」と諭した。老人は村全体の家屋にヨモギを掛けて回ったため、村人に危害が及ばなかった。そしてこの日がちょうど端午節だったため、以後の端午節ではヨモギを掛けるようになったという。

Pocket
LINEで送る