殿方 育児あそばせ!第4回

2021/08/04

殿方育児あそばせ

 

「今度,愛梨(長女)の作文がラジオで放送されるみたいよ」

 photo1日本にいる妻からの連絡があった。

 

 当時中学校3年生だった長女は、広州から日本へ帰国して2学期から新しい中学校へ編入学。

 その矢先、広州での体験を書いた作文が全国コンクールで選ばれた。

 その作文がラジオで放送されると聞いて、そこは親父らしく「うむ、そうかやりおるな……」と渋くキメたのだが、内心は「まぢで? すげぇー」とびっくらこいた。

 

 

 

photo2 そんなある日曜の昼下がり、天河の体育中心での週末のテニスが終わって、ランチ(+生ビール! ハイボール!)を楽しんだほろ酔いの私はちょうど帰路の途中、長女からWechatが入り日本で放送された動画が送られて来た。キタキター!まだ家まで数分あるが今すぐ聞きたい!賑やかな路地を歩きながらイヤホンを装着し全集中の呼吸で聞き入った。お題は「頑張ろうの秘訣」。日本人学校の通学バスでの出来事、長女が日常で体感した感謝と初の中国広州での生活について。それがBGMでしっとり演出され、グッジョブな癒し系ナレーションにより感動的に仕上がっていて私は人目をはばからず涙腺崩壊。テニスで日焼けしたヒリヒリの顔に染み渡る涙とマスクの中の鼻水が溢れて心の全米が感動に包まれた。「……広州に連れてきて本当に良かったな……」とりあえず色々とびしょ濡れになった顔を自撮りして長女に送った。大爆笑されたのは言うまでもない。

 

 遡ること2010年。

 私は仕事の都合により、辞令は突然にという運命のもと転勤を繰り返して来た。(当時長女5歳、次女3歳)「家族と時を過ごさない男は決して本物の男ではない。」とゴットファーザーのドン・コルレオーネのお言葉を真摯に受け止め、我が家は家族帯同の一択を選んで来た。新しい土地へ行くことは不安だ。職場も地域も慣れるまで必ず時間は必要である。家族帯同はそんな境遇を親と子で共有してチームで支え合える。1人は家族の為に家族は1人の為にという感じに。様々な土地で、色んな文化に触れ、美味しいお店を探し、いつしか旅行を楽しむことが家族としての楽しみになっていた。子供との距離を置くことなく、成長を見て感じて、我々親も悩み学びながら歩んで来た。

 しかし、2019年の広州転勤は単身で行くか家族帯同にするか今までにない選択を迫られていた。なぜなら、当時の長女は中学校2年生、次女は小学校6年生である。子供の成長はあっと言う間だ。もういつの間にか、お年頃ではないか。また転校か……3回目の転校であった。引っ越しの日に娘の友達がさよならを言いに来て最後まで手を振るアニメで見たようなシーンも見て来た。親心としては悩まないわけがない。しかも長女は1年後に中3だよ? 高校受験はどうする? 長女だけ帰国して高校は一人暮らしにしてもらう?できるの?どうしよう〜?頭が禿げるほど悩んだ気がする。しかしそれは私だけ。妻の意見は「家族も行くよ何とかなる」つ、強い。長女も次女も「どうせまた転校しょ」つ、強い。女性の強さ尊さよ。そうだ、私はこの最強女子チームにもまれて来た。人生は選択の連続だ。男を見せる時だ。「会社に家族帯同の申請するよ……」からの、広州行き決定(ドン!)

 

 家族とは育児とは何か、まだ語れるほど立派な大人ではないが、今は会えなくなって気付く。
「家族は一緒がいいね」

 娘達よ、変化の多い環境で良く頑張って来たね。広州で一緒にいる期間は短かったけど、素晴らしい経験をしたと思う。広州から日本へ帰国して4回目の転校となってしまったけど色々と乗り越えてくれてありがとう。お互い離ればなれだけど、この環境でお互いの成長に繋げて行こう。

 最後まで読んでくれた皆様、谢谢!!

 


photo ryu prof

 

赤林 龍

広州生活2年4ヶ月。
このプロフィール写真,単身生活で羽伸ばしているでしょ?何で子供と写ってないの?それ以上、言わないでください(泣)もう1年以上妻と子供と会えてないのです。それに2人の娘は高1と中2なのでそもそも一緒に写ってくれたかわからないでしょ?あ、広州に家族でいたのです。2019年~20年少しだけですけど。コロナで家族帯同やめました。そんな83年1月生まれ酒テロ親父の育児奮闘記です。

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