歓度元旦

2022/01/05

スクリーンショット (193)「元旦」は一年の始まり。「元旦」という名称は昔からあり、中国の歴史書《晋書》で最初に「元旦」が記載されたという。
中国の「元旦」は、「正月一日」を指すこともある。正月の計算方法は、漢の時代以前は不統一で、日付けは時代を超えて一貫していない。スクリーンショット (194)
中華民国元年の1912年には、「行夏正、所以順農時、従西暦、所以便統計(農耕の季節に沿うように夏暦に、統計を取りやすくするために西暦に従う)」ため、グレゴリオ暦を使うことにし、太陽暦の1月1日を「新年」と規定したが、「元旦」とは呼ばないことにしている。1945年には中華人民共和国が成立し、1月1日を「元旦」にしていき、それから、元旦は「陽暦」、「新暦」、「公暦」と呼ばれるようになった。

中国は日本と違い、元旦をそれほど重要視していないため、「歓度元旦」の看板を立てるのが一般的な習慣となっている。
元旦が生まれたのは中華民国時代で、旧正月(春節)から発展したものであるため、中国で元旦が祝われ始めた頃、その習慣や伝統は旧正月と似ている。何しろ元旦は中国の伝統的な祝日ではないが、爆竹を鳴らし、先祖を供養するなど、旧正月のお祝いと同様な催しを行っている。スクリーンショット (195)

現代では、元旦を祝う習慣はもっとシンプルなものになっている。
その一、中国を含め、多くの国が元旦を正式な休日としている。中国人民共和国が成立した後は、元旦を休日とする公休日であることも定められた。スクリーンショット (196)
その二、最近では新年会をしたり、元旦のスローガンを立てたり、グループ活動を行うことが一般的になっている。過去には、太鼓やダンスパフォーマンスもあり、今でもテレビの番組で見ることができる。近年は旅行やバラエティ番組もあり、とにかく元旦の伝統が少ないので、若い世代にとって、元旦といえば休みの日しかない。
その三、中国の田舎では伝統的なお祝いの習慣を残している。元旦には各家庭で爆竹を鳴らし、鶏を殺し、神を祀った後、一家で食事をするのである。また、山を登って初日の出を見る人もいて、多くの会社がこの日に社員のためのハイキングにいき、新しい年に仕事や業績などがとんとん拍子に出世することを願う。家族連れでハイキングに行くこともあり、昔神々は天の宮殿に住んでいると信じられていたので、山の頂上に登れば神々に近づけると考えられており、一年の平和と繁栄、健康長寿と幸福を祈願していたという。山の上にあるお寺があれば、信者が早起きして一番乗りのお線香を手にすることもある。スクリーンショット (198)スクリーンショット (199)スクリーンショット (197)

Pocket
LINEで送る