殿方 育児あそばせ!第31回

2022/03/02

殿方育児あそばせ

 

広州で迎える十三度目の春節を目前に控えた、ある夜。唐突にWeChatのメッセージ着信音が鳴った。ホーム画面にはPPWの某女子、違う。女史、うーん。姐さん、いやいや。そう、女帝からのメッセージ着信を伝えていた。
「儀実兄さん、PPWでエッセイ書いてくれませんか? ってか、書け」
「え、いきなり何事ですか? 何を書くんですか?」
「育児をテーマにしたリレーエッセイがあるんだけど、そこに書け」
「いやいや、私、育児なんてまともにやってませんよ」
「没問題」
「子供はもう二人とも成人しちゃってますよ」
「没問題」
「写真とか面倒なんで丸投げしていいですか?」
「没問題」
「ギャラは? 一本1万元ぐらいですか?」
「うるさい、黙って書け」
かくして全盛期の白鵬を彷彿させる怒涛の寄りに、私はあえなく土俵下まで吹き飛ばされたのでありました。我は女性の前で常に無力なのである、いろんな意味で。
と、こんな経緯で私の拙文が、これから度々、皆様のお目を汚す羽目となってしまいました。どうか合宿シュートの練習を見守る安西監督(※1)のような、温かい目で見守って頂きたく、心から願う所存でございます。

さて、何から手を付ければと考えを巡らせてみるも、前段でも触れたように、私には子育ての実感がない。エッセイ執筆を機に、「単身赴任でも出来る子育てをがんばろう」と思ってみても、長男は既に社会人として自立済み、浪人中の長女もまもなく二十歳だ。改めて女帝に断りのメッセージを送ろうと考えたが、幾度アンパンマンのテーマ「勇気りんりん」を脳内再生してみても、恐怖で震える手は文字を打つことを許さない。ここはもう、単身赴任期間中に子供たちに起こった出来事や、その時の私の思考、行動などを思うままに書くしかないかと。誰かの参考や指針にはならないが、反面教師や過去トラ検証、FMEA(※2)には役立つかも知れない、あわよくば笑いや癒しになって、拙文が一隅を照らす事になれば、と、ここまで書いていて気づいた……

「前フリが長すぎる……」

私の父は私が小学校入学を間近に控えた冬の日、出張先で温泉旅館の露天風呂に酔っぱらって飛び込んだ結果、急性心不全を発症してこの世を去った。享年三十六歳、おかげでいまだに母の口癖は「入浴前は掛け湯をしなさい」である。
継父も迎えず女手一つで育てられた私にとって、未だ色褪せぬ父親との思い出は三つしかない。
「煙草のチェリーを吸っていたこと」「愛車のパブリカ(※3)を運転中、抜けた黄色い奥歯を窓から捨てたこと」そして、「オバケのQ太郎事件」である。
スクリーンショット (588)アニメ「オバケのQ太郎」の或る回で、オバケの国からQ太郎の弟のO次郎がやって来て、またすぐに帰ってしまうというエピソードがあった。まだ純粋で感受性の豊かだった私は、弟との別れで悲嘆にくれるブラウン管のQ太郎に完全に感情移入してしまい、母がいかに慰めようと滂沱の涙を流し続けていた。そこに帰宅した亡き父、普段なら寝ている筈の私が慟哭にくれているのを見て、こう言った。
「よっしゃ、お父ちゃんが明日テレビ局に文句言うて、O次郎戻って来さしたるから、もう泣くな」
詳細は記憶と違うかも知れないが、とにかく私は父の言葉に安心し、眠りについた。数週間後、果たしてO次郎は再びQ太郎のもとに戻り、毎週レギュラー出演することになった。私は思った。「お父さん、超スゲー!」と。

数少ない父との思い出、その中で残してくれた父親としての立ち位置と哲学。
「常に子供の味方であれ」
これは2,000キロ以上隔てた場所で暮らす子供たちに対し、私が十二年間守り続けた、唯一のマイルールでもあるのです。

以下、次章

※1 安西監督 漫画『SLAM DUNK』のキャラクター
※2 FMEA故障モード影響解析(Failure Mode and Effect Analysis)設計段階から故障を予測して未然に防ぐための分析法
※3 パブリカ 1960年代にトヨタから発売された車。


スクリーンショット (587)

松浦儀実

1966年兵庫県生まれ淡路島育ち。2009年に小説「神様がくれた背番号」を上梓、同作は漫画化連載され、日本文芸社よりコミックス全三巻発売中。広州駐在十二年目だが臭豆腐とドリアンは未だに食えない。かつて広州に存在したヘヴィメタルバンド「東京女神」でボーカルを務めるがメンバーの帰任であえなく解散。天命を知らないどころか、惑いっぱなしで、恐らく未だ立ってさえいない55歳、阪神タイガース原理主義者。

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