殿方 育児あそばせ!第48回

2022/06/29

殿方育児あそばせ

 

 サイド転向を拒否し、登板機会を失っていた長男。敗戦処理ながら春季大会での投球は、監督も認めざるを得ない内容だったようで、翌日から練習環境が変わり、早速、ブルペン※1に入る順番が格上げされ、実戦練習への参加が格段に増えた事が野球日記に書かれていた。何より日記に書かれる文字数が倍増していて、中国の妄想能天気親父は六本木のパリピ※2が腰を抜かすぐらい浮かれ切っていた。

息子から送られてきた野球日記①

息子から送られてきた野球日記①

野球日記②

野球日記②

それから10日ほど経った頃、長男からメッセージが届いた。
「なんか監督が監督室に籠城してる」
ある3年の寮生が監督に関する良からぬ情報を父親に送り、父親がそれをネット掲示板に上げたことが、野球部を揺るがす大騒動になったのだった。経緯や詳細をここに書いても無意味なので割愛するが、関係者が招集され、深夜まで及ぶ会議の結果、投手コーチ解任と野球部長交代が決まり、父兄は練習場立ち入り禁止となり、全寮生は練習参加禁止と携帯電話の没収が決まった。
私が楽しみにしていた野球日記は、思いもよらぬ形で途絶え、私は息子の近況を知る術を失ってしまった。
6月のある日、見知らぬ番号から着信があった。長男だった。
「アカンかった、応援してくれたのに……、ほんまゴメン……」
聞き取れたのはこれだけだった。あとは嗚咽だけが長く続き、息子が甲子園のメンバーから外された事を知った。私はその日がメンバー発表の日である事さえ知らなかった。言いようのないやるせなさ、沸き上がる怒り、筋違いだろうが非常識だろうが、このままでは終われない。私は監督に電話をかけた。直接の電話は初めてだった。メンバーに入れてもらおうとか、恨み言を言おうとか、何か明確な目的がある訳ではなく、衝動的に電話をかけた。数回の呼び出し音の後、電話はつながり、監督は私からの電話であることを認識していた。
「いやあ、お父さん、ご無沙汰しておりますぅ、この度はほんまにすみません。息子さんには悪い事をしてしまってから、本当申し訳ない、高校野球というのは、なかなか実力だけで決められないとこもありまして、なかなか皆さんにご理解頂くのは……」
平身低頭、謝罪の言葉だけが延々と続いた。私は時折相槌を打つだけで、あまりの馬鹿々々しさに電話をかけた時の怒りは噓のように消えていった。文句を言うに値しない人間なのだと感じ、最後は二年間の指導に対し謝辞を述べて電話を切った。スクリーンショット (1457)
能天気な私でも歳を重ねた分だけ、生きていればこんな事はいくらでも起こるという事を知っている。しかし青春の大部分を野球に捧げた長男、しかもそれは私が導いたようなものである。嗚咽をただ聞くだけで終わってしまった先の電話に後悔した私は、見知らぬ番号にリダイヤルした。見知らぬ番号は寮の呼び出し電話だった。
「マジか(笑)」
こっちが拍子抜けするほど落ち着きを取り戻していた長男は、私が監督に電話したことを聞いて大笑いした。監督の反応を伝えると「まあ、そやろな」と言っていた。聞けば籠城事件以降、3年の寮生はほとんど練習参加出来ていなかったので、ある程度覚悟していたらしい。
「なあ、オトン。ものは相談なんやけど」
「なんや」
「進学先は監督が一応世話してくれるってことになってるんやけど、それ断ったろうかなと思ってんねん、ええかな?」
「おうおう、断ったれ」
それから約1ヶ月後、長男の高校は2戦目であっさり敗北した。返還された携帯電話から最初に届いたメッセージは、土汚れのない綺麗なユニフォーム姿で笑っている、3年生全員の記念写真だった。
もう少しだけ続きます

※1ブルペン 野球場内にある投球練習をする場所。bullpen。語源は牛の囲い場。投手は闘牛場に出て行く牛なのか……?
※2パリピ  パーティーピープルの略。party people。語源は英語チックな発音「パーリーピーポー」。パリピは若者限定の言葉……らしい……。


スクリーンショット (587)

松浦儀実

1966年兵庫県生まれ淡路島育ち。2009年に小説「神様がくれた背番号」を上梓、同作は漫画化連載され、日本文芸社よりコミックス全三巻発売中。広州駐在十二年目だが臭豆腐とドリアンは未だに食えない。かつて広州に存在したヘヴィメタルバンド「東京女神」でボーカルを務めるがメンバーの帰任であえなく解散。天命を知らないどころか、惑いっぱなしで、恐らく未だ立ってさえいない55歳、阪神タイガース原理主義者。

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