7月といえば…【コラム:深セン物語】

2023/07/19

深センで徒然(つれづれ)なるままに、、、
徒然(つれづれ)なるとは、思いにふけること

7月といえば文月
旧暦の7月は、文月(ふみづき)。古くは、書物のことを“文”といった。“文披月(ふみひらきづき)”が略された説。
7月7日の七夕の夜に、書物を開いて夜気にさらし、書の上達を祈る風習があったことから、文披月と呼ぶ。ホト  その他にも、七夕月、七夜月、女郎花月、蘭月、涼月、、、みなそれらしい呼び名である
稲穂がふくらむ季節のため、“穂見月”や“穂含月(ほふみづき)”、“含月(ふふみづき)”が、“ふみづき”に変化したという説もある。

七夕
7月の代表イベントは七夕(たなばた)。7月7日の七夕は、中国から伝わった「乞巧奠(きっこうでん)」がもとになる。
※乞巧奠とは、供え物をして織姫星をまつり、技能や芸事の上達を祈る儀式。ニ゚マヲ  今では、七夕の日にたんざくを掲げて、どのような願い事でも託しているが、本来は、裁縫や織物、書道や和歌などの技が上手になるように祈る日。
織姫と彦星の伝説も、乞巧奠と同じ頃に中国から日本へ伝わった。
この伝説は、通い婚だった当時の貴族たちの心をとらえ、歌に詠まれたり、さまざまな風習を生んだ。織姫と彦星は夫婦であり、不倫関係ではない、念のために言っておく
織姫と彦星が愛して逢う月という意味で、「愛逢月」は7月の異称でもある。
また、「袖合月(そであいづき)」、織姫と彦星に漢詩や和歌を捧げたことから「歌見月(うたみづき)」とも…。

旗袍
広東省でチャイナドレスは7月の季節に好んで着用されていた。理由はシルク差材が夏の暑い頃の肌に優しいからだとか。
チャイナドレスは伝統ファッションであり、19世紀の最後の封建王朝(清朝)の滅亡に伴い、服装は庶民化、国際化の自由へと変革し始め、チャイナドレスは西洋ファッションの要素に溶け込み、ゴージャスからシンプルへと移り、色調はパステルカラーが主となった。
※チャイナドレスは中国語で“旗袍(チーパオ)”。馬賊の女性が馬にまたがりやすいように、ワンピースのサイドに深くスリットをいれた服(下はちゃんとスラックスを着用)ニ・ロ1ニ・ロ2  チャイナドレスは、女性の自然美をそのまま表現できるように、独特なカッティング(裁断)手法で更に進化。日本の伝統である“着物”と並び、アジアのオリエンタルファッションの代名詞となった。

ファッションの街
深セン、なにを隠そう(誰も隠してないが)、実はファッションの街でもある!
改革開放後、広州周辺に女性服の生産工場や問屋街が雨竹の如く生まれた。その後、経済特区として発展してきた深センに中国各地から女工さんたちが大量に押し寄せてきたことにより、ファッションの需要が急激に増大した。ツョラー1ツョラー2  90年代に羅湖区東門街に生まれて福田区に拡がり、その後南山区南油に多くの小売店や問屋が集まった。深セン周辺や東莞には多くの関連工場が急激に増え、欧米や日本からのバイヤーが押し寄せてきた。
当時の“なんちゃって服(別名:東門ファッション)”が、隣の香港の影響を受けて、現在では上海と並ぶ中国の女性服のトレンド発信地となった。
7ヤツfasion  特長は、なんといっても価格が安い!まとめ買いなら値切り倒せるのだ。残念ながら男性服はデザイン、材質、価格、すべてもう一つ
ニセモノブランドもまだまだ存在するので要注意ではあるが…チャイナドレスをはじめ、あらゆる衣服をオーダーできる店も多く存在する街でもある。


宮城 紀生深セン在住22年のベテランコンサルタント
宮城 紀生
miyagi@waya.net.cn
 
 
 
 
 
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