広州の遺跡「黄埔古港」海のシルクロードを繁栄

2014/07/15

黄埔古港広州の海珠区に「黄埔古港」という遺跡がある。かつてはこの港が「海のシルクロード」の繁栄を担っていた。事実上の鎖国をしていた清の時代(17世紀後半)、中国で唯一、外国との貿易が認められたのが黄埔古港だったのだ。広州の歴史的に重要なエリアであると同時に、地元のおいしい軽食とも出会える今注目のスポットとなっている。

もともと風光明美な場所であったこの地域は、宋の時代以降、港町として発展、海外貿易の拠点として重要な役割を果たすことになる。黄埔古港の西側の入り口に建つ牌坊(門のような形をした中国の伝統的建造物)には「凰洲」の二文字が刻まれている。村の南側、つまり珠江支流に面する入り口にも牌坊があり、こちらには「鳳浦」の二文字が刻まれている。これらの文字は、ある伝説に由来する。その昔、一対の鳳凰がこの地に降り立ったという。それ以後この地に人が増え栄えたのだとか。水辺のことを「浦」、水面から出ている場所を指して「洲」と呼ぶことから、鳳浦・凰洲という名ができたようだ。そして「凰」と「浦」が後に変化して「黄埔」になったと言われる。

かつての海運の街「黄埔」にまつわるこぼれ話を一つ。時は18世紀、中国のシルクや磁器、お茶などの品を求めて、ヨーロッパから多くの船が来航していたころ・・・・・・スウェーデン東インド会社の商船「ヨーテボリ号」(East Indiaman Goteborg;哥徳堡号)が3回目の黄埔寄港を果たし、1745年1月11日、中国からの貴重な積み荷を載せて黄埔を出港した。8ヵ月の航海の後、無事にスウェーデン領海内に入った。ところが、9月12日、母港ヨーテボリ港からわずか1kmの海域で突然沈没してしまう。天候は良好、船乗りのだれもが熟知する海域で座礁するという不可解な海難事故だった。240年の間、忘れられていたヨーテボリ号だが、1984年、海底に眠る残骸が発見された。色鮮やかな磁器、まだ香りが残る密封されたお茶などが見つかったというニュースは、ヨーロッパ中を驚かせた。そして、再び中国への航海をするために再建造プロジェクトがスタート。復刻版ヨーテボリ号は2005年に完成し、中国を目指して出港、2006年に念願の広州寄港を果たす。ヨーテボリ号の来航にあたり、黄埔古港も整備された。記念展示館、横町公園、飲食店、広場などが整えられ、古い中にも新しい風を感じる、独特な雰囲気を持つエリアになっている。

黄埔古港を訪れたら、ついでに地元の軽食も味わってみよう。名物の1つは「姜汁撞奶」と呼ばれる、生姜入りミルクプリン。ミルクのタンパク質を生姜の絞り汁に含まれる酵素で固めてつくられる。優しい甘さの地元デザート、ぜひ試してみよう!貿易の街「広州」の歴史を感じさせてくれる「黄埔古港」、社会科見学のついでにおいしい地元軽食もいただいてしまおう!

最寄りバス停:琶洲石基村總站(黄埔古港)
路線:旅遊3;229

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