変貌の街 深セン【コラム:深セン物語】

2024/01/03

shinsen変貌の街
1989年11月、筆者は深センに初上陸。前年までは香港の新開地区までが観光で訪れる限界だった。胸を躍らせ、生まれて初めて訪問する中国は想像を絶する世界であった。皇崗イミグレでの入国は、正午12時を2分過ぎていたため、入国審査官が昼の休憩に入ってしまい、午後2時まで玄関の外で待機させられた。

その後、かなり遅い昼食を摂るのだが、予約したレストランまで15分の予定が、バスの運転手が(おそらく)道に迷い、昼食にありつけたのは午後4時頃。食べ終わったのが午後5時半。午後訪問予定の工場を翌日に延期してホテルに到着。すぐに午後6時の夕食が始まったのである。食後すぐに食えるかい!2

90年前半、2度目の深セン訪問。羅湖駅周辺は粉塵舞う騒音と多くの人でごったがえしていた。しかし、少し駅から離れると水牛がのし歩く田園と沼地に挟まれたガタガタの道(今の主幹道路である深南大道)。1道路工事や建設に従事する人々は素朴でのんびりした人が多かった。工場では何千人もの女工さんたちが黙々と単純作業をこなしていた。
食事の開始時間に食堂へ走り込む大群に轢かれそうになった…
90年から後半にかけての深センは、地方から多量の農民が出稼ぎにくるところだった。3

2000年頃、それから何度目かの訪問後、とうとう深センに住み始めた。急速に発展したカオスの街は富豪とスリや強盗だらけの街に変貌する。ビジネスに成功した製造工場の老板や地主はマンションを購入し、高級車を乗り回す。街には現金を狙った輩が我がもの顔で歩いている。
この頃から女性のファッションが急に注目を浴びてくる。有名ブランド品のニセモノが蔓延した環境であったが、70年代後半から80年代初の日本と同様に、ニセモノを着こなすことによってセンスが培われていったのである。
40年前の日本はニセモノ天国!4

2010年頃、香港や上海と競う都市深センは、平均収入が中国ナンバーワンとなる。街には有名ブランドのホンモノを着こなした男女、ホンモノのエンジン音で走るスーパーカー、なんちゃって日本料理店の味も急上昇、道路にはゴミが減り、交通マナーも急上昇、スリや強盗などの犯罪も減少していった。7

2015年頃、世界に誇るイノベーション都市に変貌する。
深センは中国経済発展のモデル都市。とんでもないスピードで変貌してきた。この街の変化を創造している中心は誰か、まちがいない!それはここへ集まる若者である。中国の各地から純粋な若者が大挙して押し寄せ、職を得て、努力し励んで、更にレベルの高い職を得たり、独立したり、成功を夢見て頑張っている。
深センは優秀な若者が育つ環境に満ち溢れている。世界が注目するイノベーション都市を創造し続けてきたのは彼らであった。6

2023年現在、コロナ禍以降の世界経済は停滞している。ここ深センも例外ではない。
若者たちの就業率も下がっている。また物価の上昇に伴い、都市で生活する困難さも問題となっている。でも中国政府は各々の問題解消に向けて指導を実施している。8

深センにおいては、科学技術の推進をはじめとして、教育関連や医療関連への充実、所得の格差への対応、その他、中国一の計画モデル都市として益々発展に向かうと実感する。5


宮城 紀生深セン在住24年のベテランコンサルタント
宮城 紀生
miyagi@waya.net.cn
 
 
 
 
 
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