広州四大名寺「六榕寺(りくようじ)」広州市六榕路

2014/12/03

六榕寺(りくようじ)「六榕寺」(liù róng sì りくようじ)は広州四大名寺の1つで、在外国領事館が多く立ち並ぶ、広州市の六榕路に位置する。境内には仏塔がそびえ立ち、樹木が茂る。

六榕寺の歴史は古く、中国南北朝時代の梁時代、大同3年(537年)に建設され「宝荘厳寺」と称されていたという。南北朝時代、廃仏・宗教弾圧政策をとった北朝とは対照的に、南朝では仏教が隆盛を極めた。そのため各地で仏教寺院の建設がブームとなり、六榕寺もその時代に誕生している。北宋時代に全焼したが、宋時代の端拱2年(989年)に再建され、名を「淨慧寺」に改めた。

464 グルメ「六榕寺」

現在の名称「六榕寺」の由来は、北宋の政治家で詩人、書家としても知られる蘇軾(sū shi 、そしょく、別名:蘇東坡)と関係がある。蘇軾が広州に左遷され、この寺を訪れた際、境内の6本の榕樹(ガジュマル)の美しさを賞賛、この寺の僧道琮(どうそう)に請われ「六榕」の書を残した。この書を寺の正門の上に掛けたことから「六榕寺」と呼ばれるようになったと伝えられている。「六榕」のほか、門の右に「一塔有碑留博士」、左に「六榕無樹記東波」が楹聯(正面にかかる対聯)として掛けてある。これは順徳文人岑学呂による書という。右の句にある「博士」は、初唐の詩人王勃を指しているとされており、彼が舎利塔のために書いた碑文を記念している文言だ。左の句は、岑学呂が訪れた時にはすでになくなっていた6本のガジュマル、「六榕」の書のおかげで消えていったガジュマルや蘇軾に思いを馳せることができる、との意味が込められているのだろう。

六榕寺

寺の中央に位置する「千仏塔」は、紹聖4年(1097年)に建てられ、外観が花弁のようで色彩が豊かであることにちなんで「花塔」とも呼ばれている。明朝前期に火災で焼失したが、洪武6年(1373年)に再建、光緒25年(1900年)に大改修されて現在の姿となった。高さは57メートルで、11角形、外は9層、中は11層。古代の高層建造物として有名だ。塔の東側は山門、弥勒殿、天王殿、と韋駄殿、塔の西側は雄大な大雄宝殿がある。大雄宝殿には清代に造られた3つの大仏像が並んでいる。仏像の高さは6メートルで、重さは10トンもあり、広東省の最も大きな銅像として知られている。

広州の歴史を物語る「六榕寺」。かつての詩人たちが残した書を見ながら、今はない蘇軾の賞賛した6本のガジュマルやこの寺の歴史について、しばし思い巡らしてみるのもよい。

六榕

アクセス:地下鉄1号線・2号線「公園前」駅下車、中山六路を西へ、さらに六榕路を北へ進む
時間:8:00~17:00
拝観料:RMB5(千仏塔の見学は別途RMB10)

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