旭川40年前の祖父の味「北海道味噌ラーメン」広州

2014/04/14

ラーメン

広州交易会に関する仕事の為、どんよりと曇り時々小雨が降る広州に降り立った。久々に来てみると街が大人になっている事にすぐ気づく。時期もあるのかもしれないが広州東駅前のタクシー待ちの列も見当たらないし、中信広場の高さも他のビルと比べて大して目立つものではなくなった。

無事に昼間の取材が終わり、夕食を案内してくれたのは赤いスタッフジャンパーと坊主頭がトレードマークの某フリーペーパー営業マンのUさん。「鳥丸さん、こっちです。」連れて行ってもらったのは正佳広場の裏手にある団地の敷地内。「何か見覚えがある景色だな・・・。あ、そう言えば数年前にこの辺りに金髪の女性が開いた焼酎バーがあったっけ。あのお店結構流行ってたなぁ。」そんなことを想いながら、Uさんに連れられて敷地内奥へと向かう。

到着したのは銭形平次が投げそうな硬貨が看板に掲げられたお店「六文銭」だ。店に入るとオーナーの眞田さんとUさんの目が合った。「あ、どーも、いらっしゃい!」「食事しに来ました。」

餃子と唐揚げ

彼らが挨拶をしている間、私は店内に目が行った。店の造りは奥に細長い。厨房面積が店舗の割合を結構占めている様だ。「“とりあえず”は要らないかな。最初から焼酎ロックでお願いします。」Uさんらしい飲み方だ。彼のオススメは、北海道風鶏唐揚げのザンギ。それと手作りの餃子だ。ザンギは衣に特徴があるようで、揚げ物のサクッと感とはまた少々違ったしっとりとした食感の後に、鶏肉の旨みが押し寄せる。焼酎が進む逸品だ。餃子の方はというと、野菜よりも粗い挽き肉が存在感を主張する。歯ざわりがこれまた良し。焼酎がぐびぐびと進んでいく。そろそろ締めの食事の話をUさんに向けると「鳥丸さん、実はここの味噌ラーメンに物語があるんです。店主の眞田さんの話を聞いてから食べると、またひと味違いますよ。」とのこと。早速眞田さんをテーブルにお呼びして、その物語に耳を傾ける。何でも、レシピは眞田さんの祖父が40年前に北海道旭川で生み出した味らしい。

デパート街の一本裏手の道にあったお店は、デパートの店員さんの休憩時間がまちまちな事もあって大繁盛。その味に惚れ込んだ人がフランチャイズを名乗り出て店舗数は6店舗までになったそうな。眞田さんの祖父は元々は理容師さんで、旭川の理容学校創設などにも携り、物事にこだわる気質があったそうな。ラーメン業界に活躍の場を移しても研究熱心で、その情熱がこの味噌ラーメンを生み出した。祖父が他界されてからは、祖母がその味を受け継いで味噌を仕込んでいたそうだが、高齢とともに大量に作れなくなっていったらしい。

「10年前くらいでしたかねぇ。あの味噌ラーメンが美味い店は今どこにあるのかって、祖父の味をネットで探されている方もいらっしゃったくらいですよ。」そういう眞田さんは中国に来る前に祖父の味を継ごうと、2年間東京の中野付近のラーメン屋で修行をしたそうな。「紆余曲折を経て、あるきっかけから広州で日本料理屋を始めたんです。最初のお店は厨房も狭かったので、極少量の味噌を仕込んで常連さんだけにお出しして感想を聞いていたんです。みなさん美味い、美味いって喜んでくれたので、祖父の味を広州で勝負してみたくなったんです。ただ、味噌には自信があったのですが、麺が課題でした。そんな中でご縁あり味噌ラーメンに合う太麺が見つかったんです。」

レシピの秘密を聞くとこっそりと教えてくれた。「味噌には黒胡麻も白胡麻も磨り胡麻も入れます。ちょっと魚介のエキスを入れて寝かせるんですよ。混ぜてすぐだと、味噌と魚介エキスが喧嘩してますが、時間を置いて熟成させるとお互いが馴染んで来て大変素晴らしいハーモニーを奏で出します。」

そんな眞田さんの話しを聞いたからだろうか、すり鉢風のどんぶりに入り「これぞ北海道味噌ラーメン」といった風格をまとった一杯は奥深い味わいで、麺に良くスープに絡んだ。渾身の一杯。業界雑誌の評論でも第2位となった幻の味が広州に復古した。

鳥丸 雄樹(とりまる ゆうき)
元JEFユナイテッドのジュニアユースGK。
ロスの日刊サンへの寄稿を経て現在に至る。随筆風FACEBOOKなど、現在は香港を拠点に活動中。

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